プロフィール

しょう

Author:しょう
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


最近の記事


最近のコメント


最近のトラックバック


FC2カウンター


月別アーカイブ


カテゴリー


ブロとも申請フォーム


FC2ブログ

織田信長の近衛軍(信長旗本)

odakonoe01_convert_20090820204333.jpg
今日の気分で信長様の近衛軍の配置。

odakonoe01_convert_20090820204333.jpg
縮小版です。

odakonoe01.jpg
拡大版w

南近江はもちろん、安土城のお膝元でもあり
信長様の直接支配が一番浸透していたことでしょう。
赤色に塗りつぶした部分。

旗元(旗本)は規模が強大に膨れ上がりすぎて
信長様の目が全軍に行き渡る規模ではないと
おもうので、直接的に軍を動かすのは
きっと信長様馬廻衆のリーダー、
福富秀勝さんが本締めだったのでしょう。

変後に秀吉さんが手紙で、
信長様は福富の活躍で生きて脱出していると
他の武将にあてて書いているのが証明するものかと。

馬廻りの京極高次さんは
北近江じゃなくて西湖の傍に領地を与えられたようですね。
それに六角氏の嫡流は、観音寺城に迎えられていたようで・・。

細川昭元さんや、旧勢力の貴種はできるだけとりこんでいく姿勢が
信長様にはあったのではないでしょうか。

ねこそぎなで斬り、破壊するような印象がありましたが、
朝倉景鏡、穴山信君、けっこう一門とよばれる人物も
赦免しているような気がします。
旧権力者が従うことにより信長様の「天道」というか
天下支配の正統性が強調されていたのではないでしょうか。

ピンク色は準直接支配圏というか、
「甲州乱入」に動員された範囲というか。

信長様の指示に従う遊撃軍団長の配下。

惟住(丹羽)長秀さんは、昔から
信長様の準旗本を率いているようなもんじゃないでしょうか。

あとは軍団が拡張するにつれての再編成のさきがけというか、

北陸方面軍からは、金森、原、不破は切り離されつつあったのでは。
北畿(東・若狭)方面軍は、秀吉の長浜は堀秀政に与えられていたといいますし、
長谷川秀一に与えられていた比田城=肥田ならば蜂屋頼隆さんのとこが
譲られたと推測すると、信長様の側近五奉行がどんどん旧城持衆の
居城を得て、旧城主は軍団長へ出世していってることになります。

ちなみに菅屋長頼は前田利家の越前府中といいます。
(佐々成政の旧領は野々村さんでしょうか?
それとも忠功の不破さんへの恩賞として吸収されたのかな?)

瀧川一益さんの北伊勢もきっと
側近の誰かにあたえられていたのでしょう。

自分的には土地勘のある
津島衆と縁のある福富秀勝さんが有力w
「本能寺の変」でのきなみ主要人物が死んでしまったので、
その領地は、支配者の交代も確認できぬまま
あっというまに生き残った武将の
草刈場となり塗り替えられたのかもしれません。

で、織田家の勢力圏の中の紫文字は、
方面軍の軍団長の与力ではあるけれども、
直接は信長様との主従関係であり、
局地的軍事的指揮にだけ軍団長に従うが、
領地支配はある程度自立性をもっていたのかなあ
と推測できる組下大名です(笑。

注:こんなかんじかなあ〜という妄想ですので
信じないで下さいね。

徳川、羽柴の指揮下の方面軍に関しても、
与力は直接的な軍団長(秀吉・家康)との主従関係ではなく、

「本能寺の変」によってすべての結びつきが
変化してしまったのだと、個人的には思っています。

松平家忠日記の「家康」→「家康様」への変化などから。

惟任光秀の軍団も、
一部の将だけが目的を知っていて、

下級クラスの兵は
「本能寺の変」で共犯者とされたことによって
軍団が変容したと・・・(悶々。

惟任光秀の畿内管領説なんてありえないと
個人的には思ってます(すみません)。

banner_02.gif
↑(^▽^)>ここを一発クリックで一票のご協力を宜しくお願いしま〜す”

ブログランキング・にほんブログ村へ←こちらのランキングにも参加しました。
上と同じく一発クリックで応援お願いシマス。
押してくれた貴殿に感謝でぇ〜あります。


よろしければ、リンクしてます私のHP

「天下侍魂」

最近の思うところで更新しましたので
御笑覧ください。m(_ _)mペコリン。

安土城

banner_02.gif
↑(^▽^)>ここを一発クリックで一票のご協力を宜しくお願いしま〜す”
逕サ蜒柔convert_20090816204812aduchi01

逕サ蜒・118_convert_20090816205033aduchi02

連休中に作成しましたw

「安土城」でっす。

ひさびさのプラモ。

くみ上げる前に色塗りすべきでした。
細かくて思い通りには塗れません。

最上階は中国宮殿のような赤瓦?

上の2層は金閣寺のような黄金色。
窓枠は「血の十字架」をイメージして(え。

下の層は壁は黒色、要所要所は金。

あとは塀ですけど・・。

いろんな城の壁をあとでみてみたのですが、
織田系のものは
白壁じゃなくて、やっぱ黒壁のような気がします。

塗りなおそう(笑。

それにしても天主の下層の屋根の
張り出しがどうも不自然だよなあ〜。

この石垣の張り出し部分、
何か屋根つきの建築物が天主横の
ここにもあったから、最下層の屋根は
こんなにも斜角で不均等なんじゃないでしょうか?

浮田秀家が安土城をまねて造った
岡山城天守もすぐ横に建物がくっついてるし。

気になる〜(妄想)。

ブログランキング・にほんブログ村へ←こちらのランキングにも参加しました。
上と同じく一発クリックで応援お願いシマス。
押してくれた貴殿に感謝でぇ〜あります。


よろしければ、リンクしてます私のHP

「天下侍魂」

最近の思うところで更新しましたので
御笑覧ください。m(_ _)mペコリン。

戦国・中国地方の諸豪。

seto001.jpg

seto001.jpg

本日の地図のテーマは
戦国時代の中国地方の諸豪族。

大内家と尼子家が毛利家に吸収されて
その最大領域が黄色の枠線という感じで・・。

四国の瀬戸内海沿岸は、
黄色の部分が長曾我部氏に圧迫され
緑色のラインまで河野氏が圧迫された感じで。

九州は毛利家と龍造寺家との同盟が
大友家への圧力へとなっていたのかと、
描いてておもいました。

尾張の熱田・津島、
伊勢の大湊、
紀州の熊野・雑賀、
和泉の堺、
四国は三好勢力か、長曾我部勢力か、
九州の博多、竜造寺側か、島津側か、

商人は中立とはいえ、
織田家が堺をおさえてからは、
外交的に敵対勢力の毛利、龍造寺のルートと港が駄目とか、
三好側の港は駄目とか、各大名の
勢力関係の中での独占貿易というか
海運業戦国時代があったのかなあ。

どのような状況だったのか・・。

小西行長の親父(小西隆佐)さんとか、
なりあがるだけの戦国大名的な
なにかがあったんでしょうねえ。

そおゆうのまで勉強不足で、
まだまだ地図に反映できませんが、
「もっとしりたい」という気持ちはあります。


banner_02.gif
↑(^▽^)>ここを一発クリックで一票のご協力を宜しくお願いしま〜す”

ブログランキング・にほんブログ村へ←こちらのランキングにも参加しました。
上と同じく一発クリックで応援お願いシマス。
押してくれた貴殿に感謝でぇ〜あります。


よろしければ、リンクしてます私のHP

「天下侍魂」

最近の思うところで更新しましたので
御笑覧ください。m(_ _)mペコリン。

なへゆる

東海地方、
駿河・遠江にて「なへゆる」発生。

阪神のときは高速がひっくりかえって
あちこちで火事の炎があがってましたが、
大丈夫でしょうか・・

台風も向ってるみたいで、
心配です。

戦国・九州の諸豪

kyuusyuu001.jpg

今日の気分で、「天下侍魂」
九州の戦国大名の、
島津義久、龍造寺隆信、大友義鎮のページに
つける地図をつくりました。

自分で人物を調べてるとき、

どうにも位置関係が、
地元人じゃあないのでわからない。

昔の郡の範囲も想像がつかない(><)。

ので、なんとか位置関係を
つかめないかなあ〜と
思いまして。

自分がほしいものは
きっと他の人も必要だろうと
思ったわけですが、

マイ手作りはやっぱ
真実味がないよなああああ(笑。

ていうかんじで、
ご覧になられるかたも、
こんな感じ?という程度で見てください。
気になることは自分で調べてみて
くださいねw。

banner_02.gif
↑(^▽^)>ここを一発クリックで一票のご協力を宜しくお願いしま〜す”

ブログランキング・にほんブログ村へ←こちらのランキングにも参加しました。
上と同じく一発クリックで応援お願いシマス。
押してくれた貴殿に感謝でぇ〜あります。


よろしければ、リンクしてます私のHP

「天下侍魂」

最近の思うところで更新しましたので
御笑覧ください。m(_ _)mペコリン。


««BACK  | BLOG TOP |  NEXT»»