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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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六角高頼

お絵かきリハビリの一環で、

なかなか感じが戻ってきません。

間隔があくと、だめですね、何事も。

やっぱり、

イラストレーターも駆使できるようにならないと、

そろそろ頑張らないといけないかもなあ・・


とりあえず、イラストのないページを埋めていきたいので、

六角高頼公のつもりです。

眼が碧眼というか、連日の野戦で、紫外線焼けしてる眼光というイメージで(笑、

roxtukaku.takayori


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日根野高弘

hineno109.jpg

日根野兜が気になって、なんとなく落書き。

弘就、盛就兄弟が有名ですが、

弘就の息子が1539年生まれと、

信長家臣団の中でも秀吉や前田利家と年齢が近いので、

信長様的には息子に期待していたのではと考えました。

とゆうことで、高弘ということにしときました。

顔ひげは斉藤義龍風。

それにしても、日根野氏が、一色家の家老職をつとめた家柄の

延永氏を名乗るには、それなりの意味があったのでは・・。

延永氏は京都で室町幕府に対してクーデターを起こそうとしたそうで、

なんともすごい一族じゃないですか。

日根野氏の家は和泉国にも一族がいた様子。

和泉といえば、美濃では牧村、三河では牧野氏や戸田氏も一族がいましたし。

斉藤道三の出自とも関連して、なにか、なにか意味が有りそうです。

管領・細川氏との関連があるのか、

大内義興と関連があるのか、

斉藤家の研究も、もう一歩踏み込めば、新しい視点が開けるかも、

とも思えてきます。

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織田主力軍の変遷と方面軍への移行

odahoumengun01.jpg

出張から久々家に戻ったので、
一番やりたかったこと ということで
描いてみました。

よく雑誌に載る織田家の勢力図は、
いつも1582年「本能寺の変」直前。

その先を想像して期待値をこめて
作成される場合が多いと思います。

それが原因で織田軍の主力を
誰がになってきたのかということが
希薄になっていたのかなと思う次第であります。

柴田勝家が宣教師に
何故 副将軍と呼ばれていたのか、

佐久間信盛が何故 譜代重臣筆頭と
呼ばれていたのか、

瀧川一益と縁を結んだ真田が
何故 あれほど喜んだか。

柴田は北陸御番役に抜擢されるまで、
軍を纏める重責を担っていたのでは。

佐久間は味方ケ原や長篠にも参戦し
各地に与力を持ち、これまた重責を
担ったのでは。

瀧川は畿内では伊勢の木造氏と縁を持ち、
大和宇陀三人衆の秋山と縁を持ち、
山城では有力豪族・川島(革島)家と縁を持ち、
河内の富田など文化人で有力な豪族を腹心とし、
多大な影響力を有しています。

皆、「天下布武」多大な功績をたて
絶頂期があったのに、

「本能寺の変」以後に
台頭した人物により 手柄を奪われ、

過去の人として忘れ去られてしまったのでは
ないのでしょうか。

ということでHP「天下侍魂」に図を追加(笑。

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織田(長野)信包

odanobu978.jpg

今日の気分で、信忠さんの叔父(信長様の弟)、

織田信包(長野信包)さんのつもりです。

以下、「天下侍魂」から引用。

長野信包 (1543~1614)織田・平・(工藤)・三十郎・上野介・信良・長兼。
信秀四男または六男、信長の弟。長野(工藤)藤定の娘婿となる。
1569年北畠具教の息子、長野具藤を追い北伊勢の豪族長野家に養子に入る。
伊勢長野城主。のち1580年津田一安に代り伊勢上野から安濃津(津)城主へ。
1581年9月「伊賀平定戦」に加太口大将。副将に瀧川雄利。伊勢衆を従え乱入。
伊賀山田郡を拝領する。

<細野・雲林院氏など、旧家臣を次々放逐。
信澄も養父・磯野員昌を追っているので、
信包さんの器量がたりん(汗)・・・とかではなく、
養子乗っ取り政策の一環なのでしょう。>
<1558年北畠具藤が養子。1562年惣領。1569年追放。>

自分の中のイメージ的には、武田信玄の弟、武田信廉と
かぶってます。

戦場での当初の役割は信長様の
影武者だったりしないものなのでしょうかねえ~。

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筆頭・川尻秀隆

odanobu973.jpg

「天下侍魂」

織田信長の家臣団と軍団のページ、

容量が重くなってきたので、

再構成しようと色々やってます。

HP素人なので、苦戦してます(汗。

50~60KMBが適正らしいけど、

ページ全部100越えやもんな・・

容量を減らすには(悶々。

暑いから進まないのかのん(笑汗。

とゆうことで、気になってるのが川尻秀隆。

天下統一の貢献度的には、柴田勝家にもひけをとらないだろうに、

ここまできれいに事績を抹消される、

武将もそういないだろうなあ~という武将です。

「東照大神君」徳川家康の影響でしょう。

「本能寺の変」からの家康の動きが怪しすぎます。

穴山信君の死亡、川尻秀隆の滅亡。

武田家滅亡後の割り当てで、

駿河で満足できず

(ほとんど家康与力の領地で、家康自身の恩賞は僅かなのかな?)、

本当は甲斐も欲しかったのかもしれません。

で、光秀をそそのかして謀反に走らせたとか(妄想~。

家康の対応の早さに疑いは増すばかりです。

秀隆の謀殺は、先祖の清康や広忠の暗殺された方法とにてるのかな。

北条氏のおもいきりのいい織田家への反逆も、

家康があおってたりしないのでしょうか・・・。

昔の三河松平家が幕府政所の

伊勢氏が主筋であったならば、

北条と徳川の関係は、義昭と光秀の関係にも似てるような・・。

というわけで(謎。

家康と秀隆のばかしあい、タヌキとキツネかなっと繋げて、

兜はキツネ頭にしてみました。

紋章はキツネ火っぽく(妄想ですから。

松平信一が1568年の上洛戦で活躍し、信長様からもらったという、

鹿革をなめした羽織が、今の革ジャンというか、

劣化する前はもっと光沢のあるカッコイイもんだったんだろうかと

ふと考えて、黒幌(黒母衣)筆頭の川尻さんなら、

軍功をあげて貰う機会はもっと多かったかなとおもい、

きてるようなイメージで描いてみました(笑。



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