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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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羽柴秀吉を少々

秀吉の家臣団は
「山崎の合戦」以前の
毛利と対陣していた時期を
掘り出して行きたいのですが、

いつから家臣になったんか
なっかなか見極めが難しい感じです。

弟の秀長もよい部下を負けじと
召抱えていたみたいです(尾藤知宣とか)。

あと信長と喧嘩して出奔した
武将が秀吉を頼って
家臣になっていたり(津田盛月とか)。
かくまってあげてるとこが秀吉らしいです。

子飼衆の生年をみてると、今で言えば
石田三成とかの世代と
福島正則とかの世代に3年生と1年生
くらいの学年差があって
先輩と後輩のヤンキーどうしの仲違いが
天下分け目の「関が原の合戦」の鍵に
なったんかなあと
いう感じです。

「関が原」では豊臣家内部で削りあって、
徳川秀忠が遅参したことで、徳川家の
戦力を大幅に削らないで済んだのだから
 家康が、漁夫の利で
天下をとる流れだったのかなあ
という気もしてきます。

子供のいない秀吉の養子となっていた
信長の実の息子の織田秀勝に、
秀吉は天下を譲る気あったのかもしれません。
本気だったのなら、
信孝や、信雄を追いやったのも
許せる気がします。
秀勝も長生きしてほしい人物でした。

ちなみにブログのタイトルかえましたw
信長公記(しんちょうこうき)
をオマンジュウして
しょうちんこうき!!
           うまいッ(ぇ


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