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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
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十三湊の福島城について

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奥州藤原系の城柵が当然、日本海側にも進出した平泉藤原氏の支流によって構築されていったことが考えられます。

奥州藤原系河岸段丘型城柵のつづきを追っていきたいと思います。

この十三湊の地では、河川の管理を主目的としていたであろう、河岸段丘型の城柵から、今度は湖の管理、そして海に面する湊の守備と、海洋交易を睨んでの城造りへと自然に発展していったと思われます。

まず、入江となる十三湖に注ぐ川に面した段丘に、清原系城柵からつづく伝統の城が構築され(既に清原氏の柵・砦があったかもしれませんが)、
そして、十三湖周辺で河岸型から徐々に海洋型へと、場所を移して目的に応じた要塞へと変化していったのではないでしょうか。

福島城のある段丘では、河川に面したところの館。台地の中間にある居館らしき砦。台地の端にある防御の地(城)ということで、段丘壁を防衛線とする清原氏の柵からの伝統が残っているように読み取れます。

これが、十三湊安藤氏に受け継がれ、海洋に面した道南12館の築城術、選地の立地条件へと繋がってゆくと考えます。

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