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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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自然要害と籠城戦

籠城戦つながりで、時代を遡ってみました。

奥州清原氏の惣領家、大鳥山の清原氏の拠点であろう、大鳥井柵 (または大鳥井館)
の立地について考察しました。

いずれは、下国安藤氏に繋がる城館の起源が、どこから始まっているのか?

日本海側の城館の「縄張り」について考えて行きます。

kiyooutori1.jpg

まずは、全体の地形。西には大河川、山を解析する2本の河川に南北を囲まれ、東は敵軍を阻む山峰の連なりが見られます。
山の連なりや頂は、一族の氏神としての存在感や、山岳信仰にも繋がるものがあったのではないでしょうか。

kiyooutori2.png

次に、大外要害地形の中から更に、細分したものです。大外(おおそと)要害に対して内外(うちそと)要害としました。

kiyooutori3.png

次に、更に館を拠点化する、自然要害地形です。何重にも重なる天然の要害地形から、選地を重ねての、本拠地の居館が作られていると思えます。

・・・逆に言えば、
自然災害からの影響をも受け付けない場所が、縄文時代からの営みの中で生き残った人々の中にあり、その地の豪族が繁栄していく中で、本拠地化・拠点化して行く流れもあるのかもしれません。

源ノ義家との対決の中で、清原氏の最後の拠点・出羽金沢柵と同時期まで併存し、当然、源氏軍に攻められたと思えますが、惣領家は安部氏攻略にも動いていないので、「信仰の家」として、俗世とは別次元にあったのかもしれませんが、源氏軍にとっては宗教的なものも関係なかったかもしれません。

苦戦した源氏軍は、とにかく、一族根絶やしというか、なで斬りに走っていたのではないでしょうか。

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