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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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伊勢神宮と富本銭と天武天皇

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最古の銅銭、「富本銭」を描いてみました。
手書きで円を描くのって難しいですね(笑)。

富は「ウ冠」の富(最古は冨ではなく富か)。
本は「大」と「十」に分解されています。
外周の縁取りを「一」として考えれば十は「土」となり
「大土」と描いて、天武天皇の整備した伊勢神宮の外宮の「大土」に通じると考えました。

土にも意味があって、土と土を重ねれば「圭」
圭という漢字も、目出度い意味があるようですし、
他にも道教的には
「太一」の合体で、画数的に「大十」と現されているようにも見て取れます。

祭神の豊受大神は穀物豊穣の神であり、天皇直轄の「たんぼ」の神でもあるようです。
穀物の神といえば大宜都比売。
大宜都は、大気都→沖津に通じるとも思えます。沖津といえば海の神ですね。
「大海人皇子」の海にふさわしい神なのではないでしょうか。

中央孔の両側には、「北斗七星」に通じる七星。
口の形の孔は、さしずめ「北辰」=「北極星」を現しているんじゃないでしょうか。

天武天皇の代から、「天皇大帝」の「天皇」の呼称を用いる事も、
北極星信仰をかなり意識しているのでは。

北極星の王、辰王といえば、古代朝鮮の「辰国」へと通じます。

聖徳太子の頃、「倭」が中国から「秦王国」とよばれていたのは、
「辰王国」の王統も継承していることが当時公然だったからでしょう。

4世紀頃から、葛城、平群、穂積、大伴、物部、蘇我など有力豪族が、
多く半島に派遣される中で、いつしか、あちらの王統の血もとりこみ、
有力豪族と天皇家の政略結婚などで、
母系で渡来の血が、畿内豪族の中にも入ることなどもあったのではないでしょうか。

そこで、大和朝廷が、半島南部支配の正当性を主張する為にも、
今はなくなってしまった
「辰王国」の、新王国なのだ!!と、現代でもあるような
領土争いにつきものの主張があったのかもしれません。

騎馬民族征服王朝説で、辰王国と辰王が取り上げられますが、
私はその説はとりません。
日本古来の地名や、大和言葉、イザナギ・イザナミ神、大国主、
『記紀』の系譜や、旧事の国造が、断絶しているとは思えませんし、
考古遺物のヒスイの分布についても、説明できないんじゃないかと思います。

話しが大きくそれていきましたが、
天武天皇は、道教の思想にたって、国を治めようとしていたんだろなあと。
伊勢神宮と、富士山を結んだライン、「富本銭」から何か視えてくるものが
あるんじゃないかと思っています。
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