プロフィール

登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


最近の記事


最近のコメント


最近のトラックバック


FC2カウンター


月別アーカイブ


カテゴリー


スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

藤原ノ道長

michinaga01.jpg

道長卿のつもりで描きました。

筆ペンを使用したら、全体的に輪郭が太くなってしまいましたが、
平安朝なので、まあ、よかろうw。

関白太政大臣家の5男・・・・・。


どんな風にそだったことでしょう。
社会人スタートは、下級役人級の出だしだったでしょうか。
甥との弓の稽古での話からは、けっこう気の強い感じが伝わってきますし、
野望に燃える青年のような感じもします。

ということで、
かつて聖徳太子に鎧を着せて描いてしまいましたが
(根拠は、自分が河内出身なので、太子ゆかりの地名など伝説から、
物部氏との合戦に参加した勇ましいイメージが定着しています)、

道長卿にも弓と刀を背負ってみてもらいました。むりやり(笑)。

・・ところで、
織田信長が最後まで信長の名を貫いた件について思ったことが、
天皇の外戚として権勢を誇った藤原道長にあやかる気持ちもあったのだろうか・・
とも思えてきました。

信長嫡男の、信重から信忠への改名などは、平家政権をイメージしての
平ノ忠盛や、平ノ重盛などの名を連想するものではありますが。

藤原氏外戚の秦氏についても気になっていて、
惟宗氏が秦氏嫡流に与えられた名で、
惟宗氏から、神保氏や、三宅氏が派生しているのであれば、

丹羽長秀や明智光秀が、惟住・惟任の姓を与えられるのは、
朝廷の関連する屯倉や、荘園を復興するために、
秦氏系の旧領を回復する目的で、織田家が再利用したのではないのかという
疑念をもたずにはいられません。

山城・丹波を制圧することに、惟宗系の姓は有効だったのでは?

室町三管領家畠山氏の旧領を支配することに、
その執事である神保姓や、三宅姓は有効だったのでは?

というか、秦氏を匂わせる姓を名乗ることで、秦氏系の旧領地を支配する
正統性を、織田家が持ちたかったのでは?

と思わなくもありません。

無言のカリスマ信長様のやりたかったことを想像するのは実に楽しい。
さすがにもともと神官の織田家なだけあって、
故事に由来することを重視し、政権の正統性を無言で誇示しているような
(徳川史観の成立過程で消滅させられたのかもしれませんが)、
なんでも利用する合理的な思考が見え隠れしているような気がします。

それにしても、日本史の背景にあるもの、天皇家と大伴氏の関係、
藤原氏と伴氏の関係、徳川家と富永家の関係、
列島人の歴史そのものが、
徳川史観により消された氏族、大伴氏の歴史であると思えてなりません。

・・・・・・・・

古事記の太ノ安麻呂が記す、
いずれ考えるものが解明するだろう、という姿勢。

歴史ってやっぱりそうだよなあ~と思える一言です。

banner_02.gif
↑(^▽^)>ここを一発クリックで一票のご協力を宜しくお願いしま~す”

ブログランキング・にほんブログ村へ←こちらのランキングにも参加しています
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://tugami555syou.blog94.fc2.com/tb.php/655-382086a1

 | BLOG TOP | 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。