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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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古代人記憶の残渣。イザナギ→磯城(イソキ)→稲城(イナキ)

今朝ふと思い立ったこと、とりあえずメモ。

神武東征以前の列島人の集合体は、

始祖イザナミ→泉国(いずみくに)→黄泉(よみ)→出雲(いづも)→スサノオの系統である

出雲王朝ともゆうべき団体と、

畿内王権である、始祖イザナギ→

三輪氏の本拠である磯城(「いそなぎ」または「いそき」)伝承の読みの変化による「しき」。

物部氏の本拠である稲城(「いなき」)と、その枕詞のような志紀「しき」。

出雲王朝と、畿内王朝の連合体が、葦原中津国豊秋津国だったのだろうと思います。

その中で、両勢力の統一過程や変遷が、大国主17代の記憶となっているのでは・・。

九州の王朝が、東征し畿内の覇者になる過程は、

畿内の王・安日、その弟・登美の長脛、その娘婿・ニギハヤヒ(九州人)が、

それぞれ前者を殺し、政権が移譲していく過程に現されているのでは。

安日の子孫は、東北へのがれ、

登美の子孫は、従うものは大伴氏の祖となり、

ニギハヤヒの地をひく、ウマシマジは物部氏の祖となり、

王朝を支えていったのでは・・。

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