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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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旭将軍 源ノ義仲(木曽ノ義仲)

yosinaka01.jpg
「義仲」のつもりで描きました。

9時すぎから書き始めて、
今、UPって感じです。2時間くらい。

絵の神様おりてきたかな?
ペン描きしたものを、スキャンして、ペイントで色つけてみましたが・・。

今の画力では、これが精いっぱいw

木曽義仲が越後の国府に乱入し、
柏崎の交易商人、花蔵となにやら密談したとか。
花蔵の背後には、藤原ノ秀衡がついていたとか。

義仲と、秀衡は同盟関係にあり、
義経は単身飛び出して行くしかなかったのか・・。

頼朝的には、義経を迎え入れても、
秀衡とのつながりから、スパイという疑念が払拭できなかったのかも
しれませんね・・。

頼朝の性格が歪んでいたわけではない・・と、解釈すべきか。
でもやっぱり、頼朝をいまいち好きになれませぬ。


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コメント

教えてもらいたいのですが、竜造寺隆信の家臣団の中に
石丸とか徳久は有りませんか?

のりさま

> 教えてもらいたいのですが、竜造寺隆信の家臣団の中に
> 石丸とか徳久は有りませんか?

石丸氏で有名なのは、美濃の斎藤家の執事だった石丸氏です。

石丸氏がどの時点で、斎藤家の与力となったのかが不明ですが、

斎藤といえば平安末期に、木曽義仲を幼少時に助けた斎藤別当がいますし、

その祖、越前斎藤(藤原)氏はかなりの実力者だったとおもいますので、

竜造寺家がもともと、九州の分流の藤原氏を継いだものであったなら、

藤原氏の家臣として、石丸氏が各地(九州にも)に分散してあり、

家臣に石丸氏がいても不思議はないのかとも思います。

「徳久」は地名として、九州にあるようですので、

変わった苗字ですし、在地豪族としてあった家が、

竜造寺家が勢力を広げる過程で、家臣団に加わっていても

不思議はないかもしれません。

ただ、竜造寺の直臣ではなく、強いものにしぶしぶ従う

というのが九州の諸勢力の関係のようですので、

竜造寺家臣というのではなく、傘下の軍団員みたいな

関係だったかもしれませんね。

竜造寺の部隊の旗頭となる主だった武将達の中には、

石丸、徳久が見当たらないのは、

そのような事情かもしれません。

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