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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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「本能寺の変」と「永正の錯乱」の類似点

「半将軍」細川政元の暗殺事件、「永正の錯乱」。

管領・細川政元が摂関家の九条氏と親しくなり、

1502年養子に九条澄之を迎えるも、

のち廃嫡を考えたところ、澄之を支持する宿老の香西や薬師寺により

丹後若狭遠征軍の指揮を自らとろうとした、政元が暗殺され

一色家・石川氏による、政元軍の指揮官・赤沢朝経襲撃

というオチにつながる事件です。


織田信長の場合は、摂関家の近衛とも親しくなり、

また誠仁親王との親子のような特別な関係。

朝廷との権力の上下関係を定めようとしたところの、

中国遠征軍の指揮を自らとろうとしたところの、宿老・惟任光秀の謀反。

それに連動した伊勢貞興らの、織田軍の指揮官・織田信忠襲撃

につながる事件。


最高の武家権力者が、朝廷との関わりを持ち、

それを抑え込もうとしている段階での、

配下の武将の裏切りにあう事件。


「魔京」の成せる技か・・・。


秀吉は、朝廷を保護し軽んじようとせず、

一定の距離感を維持した為に、

うまく切り抜けたのでしょうか。


それでも、結局の

秀頼の排除は、誰の意向だったことでしょう。


先の将軍、足利義満の死も、

何か疑いを持たずにはいられませんね・・。


それだけでなく、鎌倉幕府の

公家将軍も、北条家との何かの密約なのだろうかと、

疑念を持ってしまいます・・・。

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