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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
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斯波義寛と、村上顕国(義清の父)

今日は武田信玄の信濃進出を阻んだライバル、

村上義清さんの父、村上顕国が斯波家の縁戚だった件について、

斯波義寛さんの娘婿ということで、

なんと足利将軍・義澄と義理の兄弟になります。

この政略婚は1493年の明応の政変以降のことでしょう。

尾張・遠江の斯波と結んで、

やはり武田に圧力をかけるのが目的かと・・。

1484年に信濃に進出してきた武田家に勝利していますので、

斯波側にしても、あてにできる政略婚と考えられたかもしれません。

(1500年斯波氏が小笠原氏に援軍を要請した件もあるので、

 村上、小笠原の関係もきになるところです。)

1480年代の頃、今川家の当主は小鹿今川。

1476年今川義忠が遠江で戦死してから、

1487年の伊勢早瑞のクーデターで就任する今川氏親まで、

この期間とくに戦乱の話もないということは、

遠江今川と小鹿今川は、斯波家とはいい感じ

だったということでしょうか・・。

なので1481年斯波義良の越前攻めが可能だったのでしょうか。

1487、91年の足利義尚、義材の六角攻めにも将軍の威光もあり、

斯波氏の出兵が可能だったのでしょう。

上洛のたびに斯波家の兵が通過する三河は、

東軍についた西条吉良と、細川成之の領地はどう通過したのか、

東条吉良は西軍らしいですし、

根っから西軍の一色義直、義遠兄弟と、一色からの養子の美濃の土岐成頼、

斎藤利国(妙純)と北尾張の織田伊勢守、

根っから東軍の織田大和守、

その主君、東軍閥の斯波義良と、

渋川義廉の血を引くなら西軍の山名氏の血をひく、

斯波義寛との関係・・。どこまでも範囲の広がる複雑なパズルです。


できることなら古文書を調べて、

1472~1481年までの斯波義良の筆跡と花押、

1485~1494年までの斯波義寛のものと比較して、

別人格なのか、同一人物なのか、確認して納得したいものです(涙。

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