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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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斯波義雄、織田達勝、柴田勝家

1500年の斯波義寛の弟たち、

斯波寛元、斯波義雄の遠江遠征、駿河今川攻めについて、

その経緯や、決着が不明な点、すごく気がかりです。

徳川家康の出自などにも絡み、

東海道の1490年代からの情報は、江戸時代にことごとく抹消されているか、

筋書きが書き換えられている・・とゆうことなのでしょうか。

(「古事記」・「日本書紀」も、このように歴史に手を加えて残されているものなのか・・。

「先代旧事本紀」や各地の「風土記」と比較していかないと真実はみえてこないのでしょうね。)


柴田勝家の「勝」の字が誰からの偏偉なのかということが、

ずっと気になっていました。

勝家のすこし先の時代といえば、清洲の織田大和守達勝がいます、

守護代・織田家の当主は代々、斯波家の当主から元服などの際に名前を与えられている様子。

斯波義敏は清洲の織田敏定や、岩倉の織田敏広、織田敏信に。

斯波義良は、弾正忠家の織田良信にでしょうか、

斯波義寛は、織田寛広や、織田寛村に、

斯波義達は、清洲の織田達定に、

斯波義統の代は、何故か清洲の織田は、織田達勝・・・。

斯波義寛の中央の立場が怪しくなった1493年の政変と、

斯波義達の成人、家督継承(1505年頃?)までの代理に、

斯波義雄(義勝)がいて、織田達勝に偏偉を与えていたりしないでしょうか・・。

当時、名前は簡単に略字したりしますし、耳聞きで名を知った人が、

あて字で文章を書き記すかもしれません。

佐久間は作間とされたり、資は助と略されたり、

なので義雄は、義勝なのかもしれません。

織田信勝なども、信長の弟(信行)以前の

信勝の名を持つ人物がいるようですし、

丹羽長秀の家中に青山宗勝やら、古田重勝やら、

「勝」字が増殖していくことも、不思議におもうところです。

柴田勝家の武勇にあやかってなのか、元服に立ち会う事が多いのか、

実は勝家は、織田家の中では大人気なのかと思う部分でもあります。

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