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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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土岐、一色、斎藤妙椿

戦国の松永久秀よりも、

河内の木沢長政よりも、

尾張の織田敏定よりも、

美濃の斎藤妙椿は、その先を行ってるんじゃないのかな・・

という感想です。

吉良・斯波家の婚姻による結びつきも見逃せませんが、

一色と土岐氏の関係も、侮れないものがあったのでは。


それを恐れて、

将軍・足利義満が土岐康行を計略にかけ、

将軍・足利義教が一色義貫と、土岐(世保)持頼を同時に討ち、

将軍家が数世代かけて土岐家、一色家の力を削ぐ努力をしてきたが、


美濃守護家の土岐(池田)が、

一色家から養子を迎え土岐成頼とすることから、

その流れの中で、のし上がってきた斎藤妙椿がいて、

妙椿が家宰として、土岐・一色の名の下に自らの正当性を主張し、

土岐・一色の過去(所領国)の遺産をすべて統べる程の権力をえることが

あったんじゃないでしょうか。


それにつづけとばかりに、養子の斎藤妙純や、

家臣の石丸(斎藤)利光の下剋上スピリットが美濃には定着し、

長井長弘をへて、斎藤道三の登場へと受け継がれたのではないでしょうか。


将軍・足利義輝は織田信長よりも、斎藤義龍を認めていたようですし、

義龍は将軍の後押しの下、土岐家の北伊勢、美濃、北尾張の回復を

目指していたかもしれません。


その息子、斎藤(一色)龍興は更に上の、一色氏の所領、丹後、丹波、若狭、美濃、

北伊勢、三河、尾張知多・海東郡を視野に入れてたかもしれませんね。


1560年「桶狭間」直前の織田信長と、将軍・義輝の面会、

義輝の反応はどうだったんでしょうねえ・・。

足利に連なる「武衛」斯波家をないがしろにする信長より、

美濃の斎藤家の方が、義輝は大事だったのでは・・。

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