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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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応仁の乱

夜中に目が覚めたので(笑、

室町幕府の三管領と、四職家に最近はまり中です。


将軍は象徴であって、鎌倉幕府の将軍職ほど、お飾りではないですが、

ある程度の実権は管領がもつような、

室町幕府も結局はそうなのかなあ・・。


細川家は京兆家の途切れ目に現れた、細川成之の存在が面白いです。

親がはっきりしないし、猛将として一族の中から頭角を現した感じですね。


斯波家は、義良と、義寛の親子関係が、見る資料により違うので、

謎が深まるばかりです。 まあ、家康を追いつめた真田幸村でさえ、

本当の名前は真田信繁と、1615年に戦死して、

1670年には間違われているくらいですから、

朝倉家や織田家に証拠隠滅をはかられた斯波家の歴史は、掘り出すことが

難しいのでしょうね。


畠山氏は、「応仁の乱」の原因でもある跡継ぎ問題でもめた畠山政長が、

1493年に京兆家・細川政元にクーデターを起こされるまでは、管領として

意外に幕府を牛耳っていたのだなあという印象です。

腐っても管領家なのかな。


東西両軍の争いも、地方に波及してくると、

昔は東軍、今は西軍、時と場合によって、変わっているので

難しいです。

それぞれの地域の実益的なライバルとの対立関係もあるのでしょうが、

北条(伊勢)、今川、堀越、甲斐、吉良、斯波の東海道組は難解です。


(堀越今川氏の娘婿に将軍・足利義政があり、義政の弟・伊豆公方の足利政知は、

 偶然にも堀越公方と呼ばれるものなのでしょうか・・・。意味があるような。

 遠江の飯尾氏が、幕府直参で奉公衆であったなら、尾張の飯尾氏もその関連で、

 家格的に何か抜きんでた位置にあったんじゃ・・。

 信長の黒幌衆のメンツ、湯浅氏なども、管領・畠山氏の家臣・湯浅氏の分流とかで、

 幌衆は、武家としての家格も選考の要素だったりしないものでしょうか・・。)

それにしても、伊勢早瑞(後北条初代)が中央の政所執事・伊勢氏の一族として、

地方で権益を拡大して、関東に進出し後北条氏をたて、


織田信忠襲撃の主力を務めた伊勢貞興が、京都伊勢氏のその子孫ですし、

後北条氏を救うために、もしくは北条氏政にすがりつかれて、

織田信忠を襲撃したなんてことは・・・。


上杉を救いたい関白・近衛、後北条氏を救いたい京都・伊勢氏、

長宗我部を救いたい斎藤利三、いろんな思惑に動かされて、

惟任日向守は、彼らの正義を代行したのでしょうか。


ある意味、信長包囲網に光秀が取り込まれてしまった感。


「応仁の乱」が生んだ、いろんな縁の積み重ねが、旧縁が、

「本能寺の変」に集約されているような気もします。

おそるべし魔の都、京都。


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