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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
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十河さんについて

1530年代の池内城の攻防に、

池内城の城主は寒川元政である

という文もみかけたことがあります。

十河氏と寒川氏の争奪の要所だったのでしょう。

一存さんが、武将として優れているという伝説があるということは、

その傷をおったことは事実でも、その合戦の年代が

ずれているということなのでしょうね。

織田信秀の「小豆坂の合戦」も何回あったのか定かではないといいますし、

小競り合いから、家の存亡をかけた合戦まで、大小様々な戦闘の中での

出来事だったのかなと考えています。


また、寒川氏に拠点を乗っ取られていた池内十河氏がいたとすれば、

池内城に対の拠点があったのかと思い池西城をそのまま記載してしまいましたが、

実際どうなんでしょう。議論が盛んになるといいなあと思いますが。


十河氏の十河城、池内城、あと存保が拠った城は十河城と別の城だったと思いますが、

尾張の織田信清の犬山城のような、中島、和田の両家老が籠城した、拠点に対しての2つの支城とか、

摂津の荒木村重の有岡城に対しての、支城の体制とかの様に、

十河氏にも支城支配体制があったのだろうなと思います。


もうすこし自分もその点を突き詰めていきたいと思います。

資料は何によったか、なのですが、部屋に本があふれすぎて、

長宗我部、三好氏関係の本をあさってみたのですが、そこに行き当たりません。

引用は元親あたりを特集した歴史物の雑誌からなのかなあ・・・と、今思っているところです。


「三好家」随分前に作成したページなので記憶がないです(申し訳ないです。


出所、心に留めておきます。余裕のあるとき振り返りたいです。


ご指摘ありがとうございました。また何か気付いた点あれば、是非ともご教授下さい。
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コメント

前回のHNを忘れてしまいました。
十河城跡の地区に実家があります、池内と申します。
心のこもったご回答、大変ありがとうございます。
コメント遅くなって申し訳ございません。

戦が何回もあって、いつかの合戦での出来事だったのだとお考えになられたわけですね。
おかしくないと思います。

十河氏の分家、池内氏の城は寒川氏の池内城とは違いますよ。
讃岐国に池内城は2つあります。
1つは寒川氏の支城。東讃にあります。
もう1つは池内氏の城。中讃にあります。
讃岐はその頃、大きく分けて西から順に香川氏、香西氏、十河氏、寒川氏といて、池内氏の城は香西氏と十河氏の間です。
なので、寒川氏に対する拠点ではなかっただろうと思います。
明治時代に池内村、横井村、西庄村が合併して池西村にになりました。
この池内城を池西城と表記しているのは私の手元の史料では讃岐人名辞書だけです。
池西の地名は明治以降のものですので、誤記と考えております。

池内氏初代の孫五郎孝教は細川頼春に従って功を挙げていますが、同時期に尾池光政という人物も細川頼春の元で功を挙げ、頼春から横井・池内の両村を与えられています。
どうも池内氏は代々池内城にはいなかったのではないかと最近思い出しております。
また、香川県立図書館で閲覧できる恐らくもっとも成立の古い史料の翁嫗夜話では、孝教の5代孫の池内孝晴が三谷村に代々いたと記しています。
これもその説を裏付けられるものかと存じます。

すみませんが、コメントの続きはまた後日させてください。
長期出張でネット環境がなく、携帯から書き込んでいてろくに推敲もできてない拙い文章で申し訳ないです。

次は西尾城と十河城がイコールではない可能性について少しお話ししたいと思います。

池内 様

地元情報をありがとうございます。

やはりその土地のお方でないと真実に近づけないですね。

ありがたい情報です。

> 十河氏の分家、池内氏の城は寒川氏の池内城とは違いますよ。
> 讃岐国に池内城は2つあります。
> 1つは寒川氏の支城。東讃にあります。
> もう1つは池内氏の城。中讃にあります。
> 讃岐はその頃、大きく分けて西から順に香川氏、香西氏、十河氏、寒川氏といて、池内氏の城は香西氏と十河氏の間です。
> なので、寒川氏に対する拠点ではなかっただろうと思います。
> 明治時代に池内村、横井村、西庄村が合併して池西村にになりました。
> この池内城を池西城と表記しているのは私の手元の史料では讃岐人名辞書だけです。
> 池西の地名は明治以降のものですので、誤記と考えております。

文献名も調べて頂いて申し訳ありません。

池西はやはり単純な誤記なのかもしれませんね。

> 池内氏初代の孫五郎孝教は細川頼春に従って功を挙げていますが、同時期に尾池光政という人物も細川頼春の元で功を挙げ、頼春から横井・池内の両村を与えられています。
> どうも池内氏は代々池内城にはいなかったのではないかと最近思い出しております。
> また、香川県立図書館で閲覧できる恐らくもっとも成立の古い史料の翁嫗夜話では、孝教の5代孫の池内孝晴が三谷村に代々いたと記しています。
> これもその説を裏付けられるものかと存じます。

尾池氏ですか、またも気になる人名ですね。

私も調べてみます。

> すみませんが、コメントの続きはまた後日させてください。
> 長期出張でネット環境がなく、携帯から書き込んでいてろくに推敲もできてない拙い文章で申し訳ないです。
>
> 次は西尾城と十河城がイコールではない可能性について少しお話ししたいと思います。

私も仕事がこんできていますのですが、

このようなやり取りができてありがたいです。

趣味があいそうですね^^。

今後とも宜しくお願いいたします。

しょうより

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