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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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ご無沙汰です

もうすぐ4月ですね。

困難の多かった一年がようよう終わり、

来期のスタートなのですが、来期もちょっとリアルが大変で

書く余裕があるか定かでありません。

とりあえず、生きてます。


越後の武将の鯰尾兜のイラストについてですが、

鎌倉時代の伝・木曾義仲の四天王の兜などをみていると、

越後の隣国、信濃ノ国の兜は鎌倉時代にしては、

斬新なスタイルだった記憶があります。

兜の所伝が怪しいのか、定かではありませんが、

あの地方の縄文時代からの独特の美的感覚からして、

「芸術は爆発だ」的な斬新な兜が、畿内ではなく地方で

生み出されていても変ではないのかなと思いました。

侍の「死に装束」でもあるわけですから、個人専用の工夫の凝らされた

一品の中から鯰尾が誕生してもよいのではないかと。

又、上杉謙信が当時相当の鎧兜甲冑マニアであるということも

伝わる兜の多さから言えるのではないかと。

家臣も下賜された当時最新の技術の当世具足の鎧や兜を、

持っていてもおかしくないとは思います。

上杉家臣団は、鎌倉時代の古風な鎧だけでなく最新の物、

武器や防具を買う

資金力はあったとおもいます。

というわけで、図屏風など確かな資料にはあたっていませんが、

「大阪夏の陣」とか秀吉統一以降の上杉家の屏風みても仕方ないですしねえ。

江戸時代作成の屏風をみても、作者のイメージが反映されていると思うので、

「兜」については、なんとも言えません。

当時、美濃で生み出された「日根野兜」も、日根野弘就が信長に従う前は、

本願寺勢力の為に生み出したものかもしれないですし、

上杉家にも何個か贈り物されているかもしれませんね。


まあそんなわけで、上杉家には、当時の最新のもの、

何があってもおかしくないとは思います。
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