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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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戦国の国外乱闘事件

1508年、時の天下人、「半将軍」と呼ばれた室町幕府管領・細川政元が部下に殺された事件から、

政元によって追放されていた、元将軍の足利義稙が、北九州・西中国地方の有力者、

大内義興に擁されて上洛し、政権を奪還します。

細川政元の養子、高国はうまく立ち回って、

義兄の元澄に、将軍に反逆した父・政元の責任をおしつけ、

新政権の管領に収まります。


1516年大内家は日明貿易の独占権を得て、巨利をえます。

瀬戸の海運掌握を目指す細川家、

管領・細川高国は大内家の軍事力に頼みながらも、

内心は苦い気持ちだったことでしょう。

1518年大内義興は国元の基盤が、

出雲尼子氏により揺らぎ急遽帰国。

この背景には細川高国の暗躍があったかもしれません。

1523年国外の湊「寧波」にて大内家の商船団と、

細川家の商船団で、武力衝突が勃発します。

もう、この時には義興と高国の亀裂は修復できないものと

なっていたのでしょう。


「応仁の乱」西軍派閥の分裂。


東海道方面でも、大内家につくか、細川家につくか、

微妙な時期があったに違いありません。

細川高国に親しい清洲大和守の織田家、


大内義興に近い尾張山口氏と、その縁戚の佐久間氏。

佐久間氏と近い前田氏など、管領・細川派と

どのような抗争があったことやら。興味がつきません。


その中で、織田信秀さんがどうやって

尾張第一の実力者に駆け上っていくのか、


高国に追い落とされた兄・元澄の

「応仁の乱」東軍派の復活。

阿波細川氏の主軍事力、三好家の畿内制圧。

元澄の息子・細川晴元、その重臣・三好範長(のちの長慶)と

織田信秀の結びつき。



織田弾正忠家の興隆前に焦点をあてて、

もっと深く歴史をえぐりたいですね。

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