プロフィール

登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


最近の記事


最近のコメント


最近のトラックバック


FC2カウンター


月別アーカイブ


カテゴリー


スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

長篠の合戦「私的解釈」

nagasino03odanobunaga.jpg

長篠の合戦について、自分なりにおもうこと(たわごとですがw)。


信長、極楽寺山に到着、本陣設営。

茶臼山陣設営(測量で陣屋跡あり)。羽柴隊守備範囲。

石座神社付近陣屋(測量で陣地跡あり)。丹羽・(佐久間?)・瀧川守備。

弾正山(高松山)に移動し全軍の指揮(虎口の岬先端の前線で)。

嫡男、信忠は新御堂山に陣地(志多羅の郷を見下ろす)。

岡崎(徳川)信康は松尾山に陣地(志多羅の郷を見下ろす)。


一段低い里にて3万の大軍を隠し、

兵数は少ないとみせて武田軍をつり出す必要があったとのこと。


人に噛み付いてくる、人を蹴り飛ばす木曾馬を、

いかに倒すかに、信長様の頭は集中していたと思います。


的を大きくするには正面からくる馬を撃つより、

いかに側面をむけさせるか。

横向きに長距離を走らせるほど、鉄砲を撃ち込めます。


武田軍は要塞化した丘陵地帯に正面攻撃をかけるより、

南の平地、徳川陣地付近から

の侵入をはかり(山県隊が突撃、内藤隊も徳川の本多陣を襲ったといいます)。

山県昌景は南側の徳川陣地をきりぬけ、

一段ひくい志多羅ノ郷に入り込んだときに、

織田3万の軍勢を見て、愕然となったんじゃないでしょうか。

まさに丘陵の陣屋が、虎口地形の役割を果たし、

迂回して侵入したところで、

何万という足軽に、一部隊ずつねり倒されたんじゃないでしょうか。

なので、虎口効果で隠されていたため、

自軍が敗北している状況を、本陣にいる勝頼は確認できず、

どんどん後続部隊が突撃して泥沼の敗戦に・・・。


『公記』の寅卯(東北東)方向での激戦というのは、

丸山の真田に対する激戦ではなく、

志多羅に誘い込まれた武田軍が、

極楽寺本陣までの到達は無理と判断して、

まず虎口を占拠すべしと

丘陵裏手の弾正山陣に攻めかかったのでは?


正面攻撃はあまりに無策すぎなので、

実はこうじゃないかと、推測してみました(妄想です)。



視覚的な長篠合戦屏風があたまにあるので、

現代人は真っ向勝負ばかり考えてしまいますけど、

こんな駆け引きは ないんでしょうか。


ついでに言わせて貰えば、

鉄砲千丁しかもってきてないという考えは・・、

根来衆だけでも3000丁は軽くそろえられるのですから。

音に馬がおどろくというのも・・。

武田軍も鉄砲1200丁保有といいます。

慣れてるはず。


あと信長様の先陣は国衆とありますから、

敵がどういうルートで侵入してくるか、

ちゃんと想定して配置しているというわけですから、

(馬を活用するために山岳方面じゃなくて、

平地でおしてくるだろうという)

信長様の熟考された罠が ちゃんと設定される

陣取りだったのでしょう(妄想)。


信長様は弾正山(高松山)虎口の岬先端の前線で戦場を見渡し、

武田軍が罠に向って

次々とながれていく様子をみて爽快だったかもしれませんね。


岡崎信康に軍功があって増長したというのも、

こういう流れでの戦闘となったら、まさに

激戦地にいたので、ありえることかもしれません。


banner_02.gif
↑(^▽^)>ここを一発クリックで一票のご協力を宜しくお願いしま~す”

ブログランキング・にほんブログ村へ←こちらのランキングにも参加しています。

上と同じく一発クリックで応援お願いシマス。
押してくれた貴殿に感謝でぇ~あります。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://tugami555syou.blog94.fc2.com/tb.php/431-738f85ef

 | BLOG TOP | 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。