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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
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長宗我部元親

motochika934.jpg

今日の気分で、南海土佐の雄、

長宗我部元親です(のつもりです。

若い頃は姫若子とよばれるほどに、美形。

長身。

かつ太陽に近い土佐でもあり。

潮風で鍛えられた強さという印象なんですけど。


で、一領具足の侍衆の親方なので、

普段は漁師さん風の軽装かな?っという

イメージで描いてみました。


最初、織田家とは同盟関係だったので、

四国のことは信長様が「切り取り次第」と

保障していますが、

元親さんの能力が

信長様の予想をこえていたのかなあと思います。


佐久間信盛さん宛ての折檻状で、

「このうえは、どこかの大名と一戦におよんで

 一国くらい平定してきたらどうなんだ。」

という信長様の言葉が、

どこの国の大名に向けられてたんだろうと、

おもうわけなんですが。


元親さんと、信盛さんの成長を比較して


信盛が本願寺と対陣している間に、元親さんが

四国を平定する勢いで急成長してしまったことへの

焦燥とかが信長様にもあったんかなあ~と思うんですが

どうでしょう。


加賀を平定した柴田勝家のように、

淡路・讃岐・阿波に進出していれば、

本願寺退去後の論功行賞で、

恩賞として「分け与える土地がない!?」

ということもなく、

軍団長の信盛さん自身が失脚することもなかったかも

しれないのかな?とふと思いました。


信長様が茶器に目をつけ、

その価値を一国や一城なみの

ものへと昇華しようとしたのも、

宗教勢力本願寺との闘争後の、

家臣への褒美のための

隠れた苦労だったのかなあとも思うんですが、

考えすぎでしょうか・・・。


宗教勢力(本願寺)=「元寇」みたいなもので、

恩賞という餌を

見つけるために試行錯誤した

結果だったんじゃないでしょうか。


それにしても、

「本能寺の変」で首がつながった元親さんは、やはり

首謀者のひとりだったかも?でしょうかねえ~。



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