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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
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信忠の領国

odaryou003.jpg
前回は手描きの字で武将名を書いてUPしたのですが、
字が「へたや へたや」と子供からバカにされるので、
打ち込みましたw。

脱力系の字のほうが親近感わくかなあと
思ってんけど~ といいわけw

摂津衆や河内衆って、信忠さんを大将として仰いで
松永久秀親子攻めや、荒木村重攻め、
別所長治攻めに従っている経験があるので、

信忠さんの影響力は想像以上に、
とてつもなく広範におよんでいたかもしれませんね。

木曽義昌の西信濃支配は、警察権というか
軍事的旗頭としての支配であって
検地して土地をすべて与えられる領国支配とは
違うのかなあと思います。

深志(松本)の城代は織田家からの「与力」
本当は小笠原貞慶がちゃんと復帰して
いたんじゃないでしょうか。

以前から信長様の指示で
武田方の調略に働いていたといいますし、

上杉方の信濃進出で話しがややこしくなって
徳川の世になって、家康の保護を受けていたとかいう
徳川家康のおかげでお家再興できた美談へと
かわってしまったんじゃないでしょうか。

あと金森さんはほんとに北陸方面軍なのでしょうか?
長篠の合戦では搦め手軍の大将ですし、
もっと地位が高かったんじゃないでしょうか?

金森さんの子弟は皆、織田信忠さんの側近なのは
どうしてでしょう。

何故か柴田配下という先入観が働いていないでしょうか。

1582年の金森長近の飛騨口からの武田領乱入。
彼の遊撃軍団が存在してるんじゃないでしょうか。

美濃の飛騨よりにいる豪族の
佐藤・遠藤などの血族的な軍団構成も気になるところです。

あと奥平、大須賀は信長様後詰の要請ができるほどに
前線の武将として
織田家に近い武将なんじゃないでしょうか。

久能・松井・三宅・牧野は対北条のために、
大須賀・奥平のような期待を込めて
配置されたんじゃないでしょうか。

(織田)中根信照に対しては
元遠江守護・斯波家の旧家臣の残党がいて
吉良旧臣とともに織田家と直接の主従関係が
あったんじゃないのかな?と思います(妄想ですが。

毛利秀頼の信濃の配置も、
斯波家が信濃守護の時期が以前あったから、
それを意識しての配置だったんじゃないでしょうか。

「天下人」の贔屓目でみられている
現在の歴史評価の徳川家康ですが、

織田家の天下だったら、徳川家康は、
水野信元並みの
ただの一武将でしかないと割り切った目で
みるべきだと思います。


odaryou003.jpg


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