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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
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蜂屋頼隆

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今日はテレビで蜂使いのおじさんが
でてたことにちなんで(笑。

気分で 織田信長様家臣にて和泉半国守護の

蜂屋頼隆さんです(のつもりです)。

信長様の親衛隊、幌衆の出身。

1569年頃の近江の征服後の城もち、
森・坂井・佐久間・柴田・中川・丹羽の体制が、

朝倉・浅井同盟軍の反撃で、崩壊した後に、

明智・佐久間・柴田・中川・丹羽・羽柴とともに
中川追放後の蜂屋殿のくわわった新体制というわけで、

遊撃軍団旗頭への糸口が用意される様です。

その後は、

「軍団長にはなっていない」
「出世からはずれた」といわれる、

丹羽長秀さんと江北方面から各地を転戦。

石山本願寺包囲軍から、1580年本願寺幹部の石山退去後に
和泉方面担当へとなってくわけですが。

『信長公記』を読んでて思うのは、蜂屋・羽柴・武藤は、
丹羽長秀の軍事行動に付き添う場合が多いということ。

丹羽長秀が北近江と若狭方面への
「方面軍団長」としての地位にあり、

与力に羽柴・蜂屋
(幌衆の佐々・前田が柴田につけられたように)。
外様の与力に磯野・阿閉・新庄等の江北衆と、
武藤達若狭衆がいたんじゃないでしょうか?

蜂屋さんが本能寺の変後に、
早く亡くなってしまった事と、

秀吉が「天下人」となってしまったことから、

歴史が、事績が、
あやふやになっていってしまったかもしれませんね。

「金ヶ崎の退き口」にも、
徳川・明智・池田・松永が参戦していたのに、
秀吉ひとりに脚光があたってしまうこと。

天下人の「武功のひとりじめ」が、
『信長公記』にも及んでいるような気がします。

太田牛一さんが書きたくてもかけなかった事とか、

じっくり読みとらないとなあ。

新年の初カキコは、

研究されつくした
とまで書かれる
信長様の「定説」といわれてるものへの疑問でスタートです。

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