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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
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織田信秀

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紅白みながら、なんとなく描いてしまいましたw

「越後の戦鬼」といえば上杉謙信の父上・長尾為景公ですが、

自分の中では尾張の「いくさおに」は、

織田信長様の親父殿・織田備後守信秀公が ふさわしい

と思ってます。

織田弾正忠家が何故三奉行の身分からのしあがったのか、

織田信秀公が大和守家の「軍(いくさ)奉行」だったとは
いいますが、

何故、上四郡の伊勢守家の家臣団も

信秀に従い美濃と戦うのか。

ずっとしっくりきていなかったのですが・・。

斯波義達の敗北から20数年来の

「今川支配を脱却する」ために

那古屋城主・今川氏豊を謀殺した下克上、

これこそ信秀さんヒーロー伝説の大切な部分なんじゃ
ないのかなあ・・。

斎藤道三が一代で美濃の国盗りをしたという
伝説が伝わるくらい、歴史はあやふやなものなのだから、

実質、尾張は今川が支配してたんじゃないでしょうか?

今川氏豊に城内に屋敷をあたえられるくらい

今川家にとりいっていた弾正忠家。

信長以前の史料が残ってないのも、

所領安堵状とか、今川家のものを残していることが

自家の不利につながることから、

当時の人々が破棄したからじゃないでしょうか。

大和守も伊勢守も、信秀さんが今川氏豊を追い出し、

斯波義統を擁立したことで、弾正忠家の

リーダー的立場を認めなければ

いけなかったとか。

斯波家はもちろん、いままで自分を監視してきた

今川派の代官・大和守家よりも、

鎖を解き放ってくれた、弾正忠家が「ういやつ」

だったんじゃないでしょうかねえ~(妄想。

信長様以前の空白の尾張の歴史を妄想する年越しです(笑。

信秀公の侍魂に合掌。

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