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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
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今川(那古屋)氏豊

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今日の気分で尾張の領主だったのであろう、
今川(那古屋)氏豊のつもりです。

1517年「遠江遠征」での斯波義達の敗北後、

駿河守護・今川氏親によって、尾張は
属国扱いになったんだろうと推測されます。

いくら(足利)同族とはいえ戦国の世ですから。

1536年に斯波義統が守護として復権したようですが、

この歴史では抹消されている
1517~1536年の謎の期間こそ、
今川氏豊の時代だったんだと思います。

1532~1540年の間に織田信秀公が那古屋城を謀略で乗っ取り、
今川氏豊を追放して、
嫡男・織田信長を配置します。

織田信秀はこの軍事行動で一躍ヒーローとなって、
斯波義統を擁立し、その保護者である清洲大和守家も

信秀と表向きは仲良くして重用(ヒーローですから)。
今川支配からの脱却の為に、
伊勢守家も斯波殿を担ぐことに異存はなかったことでしょう。

反今川路線を走る中で、周辺の
土岐家や朝倉家と良好な関係で、反面、土岐家のために、

信秀さんは美濃守護代・斎藤家(斎藤道三)
とは対立する関係となって、
美濃へ兵を進めることになったのではないでしょうか。

今川氏豊は系図では氏親の六男ですが、
今川義元の弟でもなく、
活躍期間的には、
氏親の弟なんじゃないのかなあ・・。

1536年の今川の内紛「花倉の乱」の混乱に乗じて、
織田信秀さんは
尾張の独立を勝ち取ったのではないでしょうか。

織田弾正忠家がのしあがっていくなかで、
今川氏豊はひきずりおろされる為の、
実はすごい重要な人物なのではないのかなあ~
と思います。

信長様もけっこう自分に不都合なことは
歴史から抹消してますよね。

1551年の岩崎丹羽氏との合戦での敗戦や、

1570年の「姉川の七本槍」のこととか・・・。

まだまだ明らかになってないこと、
あるとおもいます!!

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