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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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上杉景勝

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今日の気分で上杉謙信公の
養子・上杉景勝(のつもり)です。

1555年生まれ!!ということは信長様の嫡男の
織田信忠(1555年誕生説で)さんとは同学年。

謙信公の死後に実力で家督を勝ち取ります。

すんなり家督とならなかったのは、
上田長尾の家臣団が強固な結束をもっていたことが、
越後の国人達に敬遠される理由だったのでしょう。

越後の国人達は、
自分達の未来に出世があるかどうかで
きっと動いてたはずだし。

上田衆が大きな顔をするくらいなら、
単身越後にやってきた景虎さんを担いだ方が得策
とおもったかもしれません。

謙信公とりたての側近団は、
越後譜代ではないのでいち早く景勝に味方しますが、

結局は越中方面の前線にとばされ忠誠心を
ためされている様子です。

謙信公がもちょっと、
将来的ビジョンを家臣に伝えていたなら
こんなことにはならなかったかもですね。

織田家の場合は家督争いのないように
信長様は先を読んで、長男の
信忠さんがずっと特別な扱いをうけてきてますが、

それゆえに京都で死んでしまったあとは
家督争い勃発で・・・。

どちらも一長一短ですねえ。

景勝さんは眉間の深い縦じわが無くなる事がなかったとか、
終始無言とかいわれてますが、
苦労の連続だったのだろうなと思います。

1582年は、
西からは柴田・佐々・前田・拝郷・佐久間盛政といった
織田北国軍団のプレッシャーと、

南からは瀧川・津田秀政、離反した北条等のプレッシャー。

東では内憂の新発田一族。

織田の嫡男・信忠の軍団長、森長可率いる信濃軍の進撃。

もう滅亡は目の前!!!

のピンチからの窮地を脱出。
というような綱渡り人生で、

移り変わる時代に翻弄されつつも、
ほんとに運の良い人だよなあ~
とも思います(ある意味スゴイ。

その後の人生も、
天下人に妥協しない反骨魂というか、
内に熱いものを秘めてるというか、
プライドの高さだけは誰にも負けなそうですね。
「名を惜しむ(誇り)」を守り通した人生かもしれません。

武士道というか、謙信道というか、
宗教的なくらい謙信公を崇拝しているひとなのかなあ~。

信忠さんは「親父殿」をどう見ていたんでしょうねえ~。

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織田信長の家臣団と軍団

あわせて上杉謙信・景勝の家臣団と軍団のページを

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