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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
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織田(津田)長利

今日の気分で織田(津田)長利さん(のつもりです)。

織田信長様の末弟です。

無(有)楽斎・長益よりも弟。

兄達が伊勢長島一向一揆戦で戦死したため、
信長さんの残り少ない兄弟になってしまいます。

経歴はざっと、
織田長利 (*1550~1582)又十郎・長則。織田信秀の息。1574年伊勢「長島一向一揆討伐」に従軍。1574年から織田信忠付の家老。1581年京都馬揃えに参加。二条御所で討死。娘はのちに北畠信雄の側室。

おそらく信忠さんの一門衆として
信忠さんとともに戦い
各地に従軍したことでしょう。

『信長公記』では
「甲州乱入」木曽口に、織田孫十郎という人がいるのですが、
又十郎の間違いでしょうか?(こっちは信次の息か?)
もしくはその前の「織田、」とかかれる人物かw

信包さんが長野家に、
長益さんが養育先の平手家、
ということになれば長利さんはどこと縁があったのでしょうねえ~。

影が薄いです。
なのでイラストにするのに、
アイデアが思い浮かばなかったのですが・・・。

上杉謙信と同盟関係にあったときに、
<1572年7月のことのようです。>
信長様が「愚息」を、
謙信の養子(人質に差し出しますということか)にと
手紙にかいてるようなのですが、

実現しなかったということなんですが、

当時、人質にだせるような身内がいたのでしょうか。

遠山氏の勝長さんか、
秀吉養子の秀勝さんか、
(相手(信長)にとって痛くもかゆくも無い人物なら
 人質に取る意味もないだろうしなあ~)
その後の息子達は年齢が少し離れるようですし、

信秀さんの11男とも12男ともいわれる末子の
長利さんなら信長様が一旦養子にしてもよいような
(親子ほど年齢の離れた)
年齢だったかなあと妄想を膨らましてみました。
(信秀公が1551年頃お亡くなりになったと過程しています。)

もう少し史料に事績が残るほど
長生きしてほしい武将でした。

信包、長益さんが兄弟について
かきのこしているようなことって
ないのんかなああ~。


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最近の思うところで更新しましたので
御笑覧ください。m(_ _)mペコリン。


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