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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
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佐久間信盛の家臣団と軍団

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佐久間信盛の家臣団と軍団
で思うところかいてみました。

オレンジ色のところが信長様が付属した7カ国の与力
のいるところ。

その他に荒木・筒井・長岡・惟任などの遊撃軍団長が
臨機応変に佐久間さんの補助をしていたはず。

織田信忠さんが、さらに畿内の上位(上級)
指揮官(支配者)として君臨し、
紀州雑賀攻め、播磨神吉城攻め
別所攻め、荒木攻めに活動し、

そのかたわらで、

佐久間さんはず~っと石山本願寺を封じる蓋の役目を
していたと推測されます。


1580年の石山退去後にその役割を終えますが、
佐久間軍団解体後は、

和泉・河内は大坂に駐留する、惟住長秀・津田信澄のもと
四国遠征に向けて力を蓄えていたかと。

大和は伊賀平定や、高野山征伐に向けて、

近江は信長様直参の近衛軍に、

三河・尾張は織田信忠さんのお膝元で
対武田(遠江高天神城攻略)
に方向転換したと推測されます。

領国内の最大の敵・石山がなくなったことにより、
ある意味、領国外に、より地理的に効率的な
軍事力投入が可能になり、佐久間軍団の
役割はおわったのでしょう。

とゆうか、信長様子息の成長により、
多くの軍事力を動員できる佐久間さんの
存在が邪魔となったのではないでしょうか。

彼がいなくなることで、
間接的に指示しないといけない軍事力が、
直接的に動員できるようになると。

それにしても与力衆のいるところは、
遠征に参陣できるほど
安定した勢力圏だったということなのでしょうね。

とにかく合理的な信長様には、
今後の展開を早くから決めていて、
佐久間さん追放は予定のうちだったのかも
しれませんね。
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最近の思うところで更新しましたので
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