プロフィール

登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


最近の記事


最近のコメント


最近のトラックバック


FC2カウンター


月別アーカイブ


カテゴリー


スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

織田信忠の家臣団

jyousuke001.jpg

今日の気分で織田家の家臣団編です(笑。

信長様の嫡男・
織田信忠さんを教科書常連にする会ということで、

美濃・岐阜を信長様から譲られたときに
付属された家臣団が、
1582年頃にはどうなっていたかということで、
分布図的なものをつくってみましたw。

1576年の信長様の負傷事件以降は、
信忠さんが前線の「御名代」として、
畿内にて、松永、石山本願寺、
別所、荒木という強敵に対して
弓鉄砲の死地の中で頑張ってきたことだろうと
思います。

この戦功に対して、
東美濃にて川尻とともに重鎮だった
信忠さんの重臣・
池田恒興が畿内の摂津旗頭として
抜擢されたのだと推測されます。

池田、瀧川は親戚でもあり、
畿内にその勢力を植えつける事は
信長様にとっても
プラスな一面があったことでしょう。

摂津在地の豪族・塩川家は
信忠さんが娘婿となったので信忠さん個人の
親族衆といってもさしつかえないかな?っと。

それに1582年「甲斐乱入」に飛騨口から従った
金森長近。

斎藤道三さんの娘婿として織田信長様とは
義理の兄弟。

その子息たちは織田信忠さん付きの
小姓になっていたりもします。

個人的つながりから金森さんに限っては
柴田の北国軍団からはやや切り離して
考えてもいいのではないのかな?

他の北国衆、
前田・佐々・不破の越前衆が荒木村重討伐に
狩り出されるのは、畿内での戦闘の発展系を
北陸軍に学習させるためだったのでは
ないのかな~と思います。

発展する火器や、攻城戦の道具を
織田家内でも均一というか、レベルを
等しくしようという配慮もあったのかなと
想像する次第であります(妄想。

あとの目的は、
跡次ぎ信忠さんへの面あわせとか・・。

美濃では稲葉・氏家さんが信長様直属であったろうし、
馬廻衆をさっぴかないといけませんが、
そこは大目に見てください。

川尻さんの美濃旧領には、確か団忠正さんが
はいったのかな(地図に名前入れ忘れました、汗。

瀧川さんの伊勢の地には誰が入る予定だったのか
いまいちわかりませんが。

小笠原貞慶さんはずっと徳川家康のところにいたのではなく、

一度織田家に出仕して、
越中に派遣された
神保長住さんのように、

織田信長様の命で、「甲州乱入」前に
先遣部隊として、
信濃の撹乱に派遣されていたみたいですね。

武田家臣で「甲州乱入」に織田家に降伏した
小笠原信嶺さんとの関係から、
なんかややこしいことになってるみたいです。

それにしても森長可さん、いきなり
越後に攻め込んでいるのは
なんで??(笑。

すごく自由人だよなあ~。


jyousuke001.jpg



banner_02.gif
↑(^▽^)>ここを一発クリックで一票のご協力を宜しくお願いしま~す”

ブログランキング・にほんブログ村へ←こちらのランキングにも参加しました。
上と同じく一発クリックで応援お願いシマス。
押してくれた貴殿に感謝でぇ~あります。


よろしければ、リンクしてます私のHP「天下侍魂」

織田信忠の家臣団と軍団のページ、

最近の思うところで更新しましたので
御笑覧ください。m(_ _)mペコリン。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://tugami555syou.blog94.fc2.com/tb.php/372-c040342b

 | BLOG TOP | 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。