プロフィール

登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


最近の記事


最近のコメント


最近のトラックバック


FC2カウンター


月別アーカイブ


カテゴリー


宮部継潤

banner_02.gif
↑(^▽^)>ここを一発クリックで一票のご協力を宜しくお願いしま~す”

odano833.jpg
今日の気分で宮部善祥坊さんです!!(のつもりです)

近江の浅井家家臣から織田に転じ、
羽柴秀吉の与力として、
1582年「本能寺の変」まで
ともに戦う生活を送ります。

その主従関係が、
秀吉の内衆だったかというと
どうかなあ~と、いつも思うわけです(妄想)。

まず織田信長様の許可を得ての
与力武将ということは確かでしょう。

で、秀吉さんは調略の条件であったのか
人質として身内の羽柴(豊臣)秀次を
継潤のもとへ送っている様子。

のちに正式に養子とされるようですが。

秀吉が近江侍を手なづけていくにも
重要な役割を果たしてくれたことでしょう。

中国方面軍となってからは、
但馬に進出した羽柴秀長を補佐する与力。

内衆では前野長康が補佐したであろうし、
尾張衆からの与力としては尾藤知信さんが
いたであろうし、その中でも

新占領地の旗頭として、
因幡国鳥取の城主に抜擢されたことには、
信長様の意向が反映されていたのでは
ないでしょうか。

外様の近江衆でもそれまでの軍功に対して
評価があるのだということを、
家中または天下に知らしめる登用という
ことは考えられないのでしょうか。

というか、秀次を送り込むことで
家中にとりこむというか、
身内にひきづりこんでしまった秀吉さんの
人たらし術も凄い。

自分の羽柴本家は信長様の子息・秀勝さんが
継承するし、
一門の流れは、弟・秀長さんの子孫か、
宮部の秀次さんの子孫が生き残れば、

秀吉さんとしては「満足です」と
信長様へ
アピールもしてたかもですねえ。

というわけで、
近江侍の武勲を世に知らしめた
宮部継潤さんの侍魂に合掌。

追記)あと妄想をもう一件、
1580年代の秀吉一家の兜の飾りは、
グレムリンみたいな顔の前立てと
鹿の角が流行してたのかなあと思ってます。
(伝・秀吉、秀次の兜をみてw)

播衆系の人は牛の角みたいだし(謎。

ブログランキング・にほんブログ村へ←こちらのランキングにも参加しました。
上と同じく一発クリックで応援お願いシマス。
押してくれた貴殿に感謝でぇ~あります。

よろしければ
ページをリニューアルしました

リンクしてます私のHP 「天下侍魂」も

http://1st.geocities.jp/tugami555syou/index.html
御笑覧ください。m(_ _)mペコリン。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://tugami555syou.blog94.fc2.com/tb.php/338-b5489a87

 | BLOG TOP |