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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
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畠山重忠

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今日の気分で畠山重忠!!(のつもり。)

「坂東武者の鑑」といわれ
鎌倉時代の諸将から
尊敬を抱かれていた勇者です。

1180年の頼朝挙兵には
大庭景親に応じて平家方として働きます。

当時、京都大番役で父親が平家軍の中に
取り残されていたので、そういう理由も
あったのかなと想像されます。

しかし重忠さんは
房総半島で勢力を取り戻した
頼朝さんにいさぎよく降服し、
父と袂を分かつようです。

父親さんも立場的にやばい状況
だったはずです。

「忠ならんと欲すれば孝ならず、
 孝ならんと欲すれば忠ならず。」(頼山陽)

と平ノ重盛さんと同じような苦悶を
重忠さんも胸中に抱いていたのでは
ないでしょうか(妄想)。

まあ、最初から親子の仲が悪ければ
問題ナッシングですけどw。

1183年には北陸道で平家軍が大敗し、
京都を捨てて西国を固めて
勢力回復するという平家方の方針で
やっとこ父親さんは武蔵に帰国を許されるそうです。

で、家督を譲って隠居された様子で、
その後の歴史には現れてきません。

正式に跡職を継承した重忠さんは、
奥州征伐の「後三年」以来の
先祖伝来の源氏の白旗を掲げ
頼朝さんの先陣を常に勤め武名を挙げます。

北条時政さんの娘婿となったようですが、
時政さんの陰謀と三浦党により
滅亡の運命が待っています。

悲劇的な武将です。

(韓信っぽいかなあ。つぶやき)

太く短く、
歴史に武名を刻んだ畠山重忠さんの
侍魂に合掌~。

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