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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
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樋口兼光

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今日の気分は平安末の木曾義仲さんの左腕、
木曾四天王の樋口兼光さんです。

伝来の兜の記憶で描いて見ました。
こおゆう形態の兜が平安末に既にあったのかなあ~。

信濃侍が持ち込んだ新気風だったのかなと、
肯定する方向で見たいと思います。

義仲さんの乳兄弟・今井兼平さんの兄です。

二人の兄貴分という感じで、
木曾義仲さんからは一軍の大将として
信頼されていたようで、
別働隊(搦め手軍)を率いて、平家軍との戦闘に活躍します。

京都では占領後、悪逆非道の限りを尽くしたようで、
後白河上皇にたいそう恨まれるそうです。

義仲、兼平の戦死の報を聞き、
鎌倉の範頼・義経軍に降服しますが、
公家達の許しがでずに処刑されることになったようです。

信長様は、松永久秀がたいそうお気に入り
だったらしいのですが、

「普通じゃできないことを3回もした」とか
おだててますし。

決して木曾軍の事も嫌いではなかったのかなと
思えるんのですが。

配下武将に九州系の名前を付けるのは、
信濃の国が未だ
甲斐武田家の支配下にあったからでしょうか。
(既に敵対関係だから遠慮とか、
臆するとか、関係なさげかなw)

なんにしても朝廷に対して、
イメージが悪すぎたりするからでしょうか。

上杉景勝の上田衆の樋口兼豊との関係が
きになるところですw。

と今日も徒然と妄想を書いてますが、

範頼・義経も武辺を認める
樋口兼光さんのあらぶる侍魂に合掌。


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