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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
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大友貞載

odano798.jpg

今日の気分は
南北朝時代の大友(左近将監)貞載さん!!(のつもり。)

九州男児なんで目鼻立ちぱっちりの
多毛系にしてみますた。

太平記の山場、足利尊氏と新田義貞の激突の際、
戸次党を率いて足利尊氏追討軍に属し、
新田義貞の軍団から突然に足利尊氏方に寝返り、
ピンチの足利軍に奇跡の勝利をもたらします。

そのせいもあって南朝方から
たいそう恨まれ、後醍醐帝に気に入られた
「三木一草」のひとり結城親光により
差し違えのだまし討ちにあいます。
(足利尊氏を庇い負傷したとも。)

この武勲のおかげで、大友家一族は
足利尊氏にたいそう信頼され
ひきたてられたそうです。

そこでこないだからの
一連の妄想つづきなんですが(笑)、

貞載さんはメジャー人物なので、
筑前立花城を築城したとされ、
立花家の祖として仰がれています。

実際は実弟が養子となり跡をついで立花なのですが。
『太平記』とかには立花の名乗りはありません。
(むしろ戸次党を率い、
室町初期の幕政では
大友家より上位に戸次家が
取り立てられてたりもします。)

江戸時代に大名立花家の家門装飾の為に
畿内の伝説的有名人・大友貞載さんと
無理にむすびつけられているかも?
と・・・(立花家を批判しているわけでは
ありませんからあ~)。

でその当時の感状に、家系図に
現れない戸次(左近大夫)頼尊なる人物の
ものが残ってるそうです。

戸次家のひとが
鎌倉幕府討幕に働き、なんらかの軍功から
後醍醐帝から感謝されて
「尊」字もらったりしませんかねえ?
(左近大夫=左近将監・・にてる・・)
もしくは足利尊氏となってからの
尊氏さんに感謝されて「頼尊」とか。


大友貞載さんは朝廷軍から離反し
世の混乱を招いた武将として
「尊王主義」の時代には
楠木正成ら勤皇の忠臣に対して
悪将として評価され、「戸次頼尊」の名は
不当に悪い評価をうけたり、事績を削除されたり、
系図から消されたりとかないでしょうか?

この南北朝の世に混乱を招いたぶりと、
足利尊氏に対する忠節ぶりから、
時代背景によって評価が変わって、
戦国時代には有る意味カッコイイと評価されてたり
しないでしょうか?。

で、戦国織田家に妄想はつながります(笑)。

信長様家臣の簗田(右近)広正が別喜姓を
突然あたえられるのですが、
これは何故なんだろう?と思ってたわけです。

「桶狭間の合戦」に奇跡的な勝利をもたらし
軍功第一とされた簗田家が、なんらか大友氏と
家系的つながりをもち、その縁もあって信長さんから
戸次姓にならって同じイントネーションの姓を
与えられてたりしませんかねえ~。

『信長公記』には別喜右近として表記され、
加賀支配の旗頭として、抜擢されてます。

信長様のことやから、何かしら遊び的な
意味付けがあってのことだと思われます。

信長様は足利将軍を担いで上洛したので
大友貞載公の正確な名称を、
室町末期の当時は
把握できたんじゃないでしょうか?

(とにかく立花家の祖先なんだ!!
 ということだけが江戸時代に世間一般に
 立花家の常識として
 定着してしまったとか。)

というわけで立花家と戸次家の結びつきと、
織田家の別喜さんと関連する人物として想定
してみました(あくまで妄想ですw)。

大友家の未来を切り開いた
肥前守貞載さんの
九州侍のあらぶる侍魂に合掌。

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