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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
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織田信孝

odano782.jpg
今日の気分で三七信孝さんです!!(のつもりです。)

信孝さんの場合は名字を、
神戸にするか、
三好にするか、
織田の名字でいくか、
いつも迷います。

信長様在世中なら
嫡男・信忠さんとはっきり区別するために、
最終的に養子となっていた三好康長さんの
三好姓で人生を生きていったと思いますが。

信長様は自分の経験から、
兄弟争いをやめさせるため、
嫡男は奇妙丸と早くから決めていたんでは
ないでしょうか。

1575年の柴田勝家さんあての
北陸支配の定めがきに、
「われわれの方に足を向けてねるな!」
とかいてはるし、複数形の
我々とは信忠さんを指してるんだろうなと
思うわけです。

で、軍事指揮権を子供達に
徐々に譲渡していくわけですが、
その特権こそ「御名代」という
肩書きだったのかなあ~と
おもうわけです。

信孝さんは兄・信忠さんの
軍団の一翼として播磨神吉とかに
出陣してるんですが、

他にも単独で、高野山を相手に
紀州粉河寺あたりに在陣して
小競り合いを続けている様子です。

そういう下積みの軍事指揮の実績が
あったからこその、勇者の証の
「永楽通宝」の旗印の許可なり(本能寺のちに
自分で使い出したのならアレですけどw)、

西国攻めの指揮者への
就任だったんだろうと思います。

で、細川忠興軍功記には
西国の「御名代」として三七信孝様と
記されています。

「一門(連枝)衆」として特別な地位の
仲間入りをしたというか、

信忠さんの松永、荒木、別所、武田征伐。
信雄さんの伊賀攻め、
それにつづく土佐攻めの大将で
信長様の子として認められての
「御名代」であったわけで、

信長様は階級性を
けっこうきっちり作ろうと
おもってたんではないでしょうか。

信孝さんは、
瀧川・柴田・惟住・惟任・羽柴・佐久間・川尻・池田達とは
あくまで立場が違うというか、
血縁関係的に特権階級というか、
普通の軍団長として扱うのは おかしい と思うんですが
歴史学素人の素朴な意見ですが
これ如何。

畿内での織田家
一門衆支配が進む中で、
羽柴家は信長様の子・秀勝さんが
継承しスムーズに一門に。

そういう意味で、惟任家は
外様大名として孤立する立場に
立たされつつあったのかなとも思います。


それにしても、二条御所で籠城した信忠さんを
一番近くで後詰として救援できた、まとまった軍事力を
もつ大将さんは、
筒井順慶だと思うのですが、なんで惟任(明智)軍に
一戦およばなかったのか。

京都公家衆か、惟任光秀さんの情報操作に
踊らされてしまったんでしょうかねえ。

というわけで長年おもってる疑問をば
つらつら書いてみました。

栄光を目前にし
露と消えた
織田信孝さんの侍魂に合掌~。

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コメント

信孝

信孝さんですね、このとき神戸という名字になったんですよね。私も信孝の夫婦イラスト描いたことがありますよ。

Re: 信孝

こんばんわ~。

見ていただいて、ありがとうございます。

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