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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
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安倍貞任

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今日の気分は、安倍貞任さんです!!(のつもりです。)

別名、厨川次郎。

安倍頼良さんの次男ですが、
数ある兄弟の中から、戦時下ですから
武勇を持って跡職を相続されたようです。

「前九年後三年の役」のエピソードとして
和歌を応酬する風流な戦い
という感じで逸話が残されているのですが、
通説として理解されるその解釈が、
ずっとしっくりこないでいます。

衣川の柵がおちるとき、
源ノ義家が
「衣のたてはほころびにけり!!」

といった言葉に対して、
「年をへし 糸の乱れの くるしさに」

と前の句を返し、義家は感じ入って追撃をあきらめた
ということになってます。

後ろが先で前があと?

ほんとに和歌として成立しただけで
義家さんが感動するでしょうか?

何かもっと深い意味はないのかな?

(以下、妄想を展開)
貞任さんの言いたかった意図は?

清原氏の加勢を得て源氏が優勢にたったことから、

(年をへし)は長年交わってきた同じ俘囚の清原氏
との繋がりにかけた言葉で、

また清原氏を「糸魚川」(勢力範囲?)の(糸)とかけ、

俘囚の長者どうしの内訌を(乱れ)とし、

その同士討ちの(苦しさに)ということで、

「源氏軍の力によって安倍軍が敗退するわけではない、
 清原氏の裏切りにより敗れるのだ
 この勝利を源氏の力量だと思っておごるな」

というかんじで貞任さんが文句を言ったから、
武士道というか、武門のプライドがある
義家は手が出せなくなったんじゃないでしょうか?
それに清原氏に対しても痛烈な文句では
なかったのでしょうか?

ということで、
安倍貞任さんは「武」一辺倒ではなく
源ノ義家さんを、
和歌をもって撃退した知略の武将といえるのかなあ~。

と自分なりに解釈してみたんですが、これ如何。

義家さんの台詞ですが、
衣川は柵ではなく「館(たて)」なんですねえ。
もともと政庁が衣川にあったからでしょうか。

とまあ、そんな感じで、
この和歌にはもっといろんな深い意図が
隠されているような気がします。

平ノ将門さん、藤原純友さん以上に
朝廷に深い恨みを残したでしょう
奥州王・安倍貞任さんの
気高き侍魂に、合掌~。

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