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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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川尻秀長

「黒の一番」
川尻秀隆さんの息子、川尻秀長さんです。
odano671.jpg

今日の気分は、
織田信忠さんの家臣団シリーズ
(いつからシリーズにw)

父上・川尻秀隆は清洲織田大和守家の人で、
代々清洲家老の川尻家に養子に入ったとも。
(本当なら遠縁の織田一族じゃまいか)

与力を従える馬廻衆(小部隊長)
から選抜された
信長様の親衛隊「黒母衣衆」
の筆頭武者。
家柄だけでなく、
武威は織田家でも突出する侍だったと思われます。

織田の嫡男・信忠さんの後見人として、
信長様の乳兄弟の
池田恒興とコンビを組んで東美濃支配。

池田恒興が畿内の信忠軍のリーダーとして
転出してからも、東美濃にて
最大のライバル武田との国境線を
守備しつづけるだけでなく、
木曽義昌、小笠原信嶺に圧力をかけつづけ
離反を促したのは、「黒の一番」の覇気だと思います。

1582年甲斐乱入の信忠さん本体の主力部隊として
手堅く武田軍を殲滅していく手腕といい、
甲斐と信濃の一部を恩賞で与えられたのは当然
だったことでしょう。

秀隆さんは武田館にいたらしいし、
部下の甲斐代官の名前も伝わってますが、
川尻秀長さんが生き残れたのは、
変時に領地の一部の信濃にでもいて
徳川の魔の手から脱出することが
できたのでしょうか。

秀長さんの生年は、父上の年齢からして
多分1550年代と推定され、信忠さんと同年代
のようです(森さんとも同世代)。

秀長さんも織田の天下ともなれば
室町幕府の三管領のような
織田になくてはならない人となってたかもなあ・・・。

秀吉さん政権下では森長可の陪臣として
美濃にて1万石の薄給。転封には従わず美濃に
居残ったため、
1600年関ヶ原の混乱に戦死するようですが、
詳しいことは伝わっていません。

織田政権を簒奪した、秀吉。
父の領地を奪った徳川の世では、
力を与えられなかったのは、これまた当然
だったことでしょう。

斯波の末裔・毛利秀頼さんは旧領回復したから
政治力あったんかなあ・・・。
(第一世代の武将だから当然か・・)

旧主斯波と、清洲家老・川尻の相性も
悪そうだなあ・・・。

とまたまた、話しがそれてきますがw

誇り高き黒の一番を背負った
川尻の「侍魂」に合掌。

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