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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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奥州藤原系河岸段丘型城柵

奥州藤原氏の城柵に進みます。

広範囲の地図です。
北上川に面し、北を衣川、南を太田川が堀の役目を勤めます。

北上の地名は、日高見に通じると言いますし、古来要地の場所なのでしょう。

hiraizumi01.jpg

拡大詳細の地図です。
hiraizumi02.jpg

後背の山が西側からの大軍を阻止します。清原氏残党を意識しての備えもあるのでしょうか。

南北を二本の小河川に挟まれ、前面を大河が流れる選地は、奥州清原系河岸台地型城柵の系譜を引いていると言えるのではないでしょうか。清原清衡は、実父・藤原経清の豊田館に最初は拠点を置いていたそうですが、そこでは守備に不安を感じたのでしょう。
1099年に平泉の地に本拠地は遷るそうです。
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平安末期奥州清原系城柵のまとめ

kiyoharasaku01.jpg

広範囲に清原氏の領域をみたものです。
城柵の分布から雄物川流域の流通を抑えて、飽田を支配していたのではないでしょうか。
東北の蝦夷の民を支配するには、山の神への信仰も大事でしたでしょうし、漁労活動の支配や、治水等の水利事業を通しての、調整役としての清原家の存在感というのもあったのではないでしょうか。

天智天皇の子孫が、出羽に逃れていたという天智系の伝説も気になりますし、
天武・持統天皇の制定した中での皇族に与えられる「真人」という官位を与えられている氏族というのも気になります。

清原真人。

奥州でも特別な貴種として、俘囚長の安部氏とも一際違う存在感でもあったのかも。

kiyoharasaku02.jpg

更に拡大したもの。下流域の大台滝ノ柵の存在からして、日本海にも進出していた事は確実かと思われます。
周辺の由利氏や河田氏、大河氏とも婚姻関係を通じて縁を結んでいたのではないのでしょうか。


次は奥州藤原氏系に進むか、遡って安部氏系に進むか、どちらにしましょう。


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奥州清原系城柵 虚空蔵大台滝の柵

oudaitaki01.png

奥州の清原系の城柵シリーズの最後です。
秋田県の大台滝遺跡の調査でここが柵ではないかということで、縄張りについて考察してみました。
まずは一番引いて観た地形です。二本の大河に囲まれた位置ですが、北側は大きく離れています。
という事で河岸段丘を開析する小河川が、北側の備えであろうと考えます。
雄物川が南と西を防御する形です。

oudaitaki02.png

北側は小河川が開析した渓谷が備えとなっていて、館の東側には大軍を阻む山があります。

oudaitaki03.png

そして、山から尾根続きに岬状に突き出てくる台地部分に、おそらく館が造られていたのだろうということが読み取れます。
山間部にある金沢柵と大鳥居柵に比べ下流にあるので、形態が変化しつつあるようです。
向背の山が近いの事も前述した2柵とは相違するところです。
西側の段丘際にひょっとしたら別の館が、角になる要所にあるかもしれませんが、不勉強なもので今はよく解りません。
類似するものとしては、十三湊の福島城の河岸段丘上の立地に共通点があると言えます。

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