プロフィール

登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


最近の記事


最近のコメント


最近のトラックバック


FC2カウンター


月別アーカイブ


カテゴリー


千早赤坂城

chihayaakasaka01.png

最近、興味のあるところで更新します。
今、はまっているのは山城です。

最も難攻不落の山城といえば、我が郷土の英雄・楠木正成公の千早赤坂城かと思います。
もちろん、楠木正成公の武略も素晴らしいものがあったのでしょうが。

鎌倉幕府の錚々たる面々が討伐の為に出陣しては敗れる。

挙句の果てには、一土豪も鎮圧できない幕府に見切りをつけた諸豪族が、
各地で反乱を起こし、日本をひっくり返してしまうという・・。

建武新政の象徴的な城なんじゃないでしょうか。

では、何故、幕府軍を撃退しつづけれたのか?
地元の人達が、陰で協力していたでしょうけれども、謎ばかりです。

下赤坂城、上赤坂城、千早城の3城以外にも、色々と絵図には書き込まれています。
背後にどどんと構える金剛山の頂も気になるところです。

金剛山のおかげで、基本後方から、大軍勢に攻められる心配はないと言えるでしょう。
川に挟まれた立地というのも地図をじっくりみていると分かります。

この千早城とはじめとする城も、大軍を迎え撃つわけですから、それぞれが連動して機能していたものなのでしょう。
と考えると、金剛山を中心とした、一山全体を防御施設とした、数々の城(砦)を包括する、天然の要害こそが城であり、
「大千早赤坂城」とも呼べるものなのではないのか?と思うわけです。

では、14世紀初頭の山城とは、一つの曲輪(郭)を城と呼んでいる現在の視点とは感覚が違うものなのでは?となります。

人工の手が加えられているのかどうかは、発掘してみないと分かりませんので、ここからは推測でしかない話となっていきますが、

天然要害を利用した総構として、山城を見直していく必要があるのではないか?と、その思いを強くしています。
そこまでしてみると、武将の土着性というか地域密着性を、より掘り起こせて面白いのではないでしょうか。

というわけで、今、考えている事を、ヤフーの河川水位図を利用して図におこしてみました。
(最近、台風の影響で、河川水位の地図を見て、山城と結びついたところです。
この地図は拡大していくと等高線があってすごくいい感じです)

(恐々謹言)


banner_02.gif
↑(^▽^)>ここを一発クリックで一票のご協力を宜しくお願いしま~す”

ブログランキング・にほんブログ村へ←こちらのランキングにも参加しています


スポンサーサイト

 | BLOG TOP |