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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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美濃国要所図

↓改定しました。H28年1月7日。
minonokuni06ver.png



第2弾として美濃国の要所図も作成してみました。

河の流路が、当時の正しいものかどうか不明です。
郡境と連動しているとは思うのですが。

尾張・美濃の国境も変化しているようで、
図を描いているうちにわからなくなりますが、
最後は「えいやっ」と仕分けしました。
地元の方には城の正確な位置など
違和感があるかもしれませんが。ご容赦ください。

城についても全てを網羅したわけではないので、
継続して、完成度を高めていきたいものです。

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戦国時代 尾張国要所図

↓改定しました。H28年1月7日
ohabarinokuni06ver.png


なにをするにも、まず地理が基本だと思い、改めて作ってみました。

当時の海岸線とかは謎ですけど(笑)、まず要所の位置関係が把握できればよいかと思いました。

織田信秀公が駆け回った、東は大垣、西は安祥まで。

信秀さんは壮大なスケールの武将だったんだろうと思います。

この父親がいてこその、織田信長卿だったのではないでしょうか。

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神功皇后・息長帯姫

okinagahime02.jpg

いまだから、神功皇后様のつもりで描きました。
女子絵は苦手ですなあ。

実在しないとか言われがちですが、石上神社に存在する「七支刀」が、
存在の証拠なのではないでしょうか。

記紀というのは、ちゃんと本当のことを記しているのではないのかなあ・・。

欠史10代というのも、「秀真伝」で語られているので、
記紀では省略されているのではないのかなあと、最近思い始めています。

神代文字が書かれた古い土器が、どこかで出土していないものでしょうか。

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影武者・武田信廉

syouyouken02.jpg
武田信玄の弟、武田逍遥軒信廉(信綱)のつもりで描きました。

信廉さんは兄に従っていけば武田の安泰は間違いないと、
武田家の事を心底考えていた武将だったのではないかなと思います。
織田家でいけば、信長さんの弟・信包さん的な存在でしょうか。
次兄の武田信繁の亡き後、血族のナンバー2の立場となってはいますが、兄の影武者でもあり・・。
難しい立場ですね。
けど信廉さんは、影武者として立てられるほどですから、
源ノ頼朝兄弟の、範頼、義経よりは、兄に信用されていたのだろうなと思います。
信包さんは、はたしてどうだったのだろう・・・。

今日は、そうだ年賀状を書こう。と、思い立ちましたが、
年賀状といえば、富士山かなあと、富士から連想し、
甲斐の国、武田、影武者・・。
と、信廉さんに行きついてしまいました(現実逃避か)。

新年は、戦国時代にモードを切り替えて、HPを整理更新していこうかなあ。
自分にも影武者が欲しいところです。

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出雲八重垣と富士

『古史古伝』のページを最近更新しています。

「ウガヤフキアエズ王朝」について考えていますが、
ふきあわずは富士合須(ふじあわす)とも呼ぶようで、
「富士」について最近考えるようになりました。

中国からやってきた呉太伯の子孫達の次に、
秦朝統一期の難民、秦朝滅亡時の難民、
その間には斉国の方士・徐福とその船団員・技術者達が渡来してのではとされます。

なかでも徐福は、不老不死の薬を求めて日本に来たと・・。

「富士」=「不死」に通じるならば、「富士」は徐福が大海で遭遇した、
不死を与えてくれる神を現しているのかと・・。

「山神」が生死を司る、山神信仰の元になる宗教が列島に存在していたということでしょうか・・。

各地に存在する富士が、「ウガヤフキアエズ王朝」の全国支配の拠点的なものだったのかなと思えます。

古墳時代初期、死を司るといえば「出雲」。出雲にある富士山に似た山といえば「出雲大山」。
この霊山を中心に出雲の地は「黄泉の国」となっていたとすると、
スサノオの読んだ歌の、「出雲八重垣」は「根の国」の役割をあらわしていると考えました。

出雲大山と西の三瓶山のライン、
出雲大社の背後の八重山と、磐座のある南の琴引山を結んで、十字になる位置の中心点、

「スサノオ神」が360度出雲を見渡して、歌を詠んだ場所でもあり、宮か、
何か宗教的なものがある場所なのかなとも思えます。

『記紀』や豪族系譜の中では、
「ウガヤフキアエズ王朝」は、どこにもハマる余地はないです。

もしどこかに存在する余地があるとするのなら、
神代七代以後の、天照子孫が登場する以前の、
古い王朝なんじゃないのかなと
最近は思い始めているので、
ヒントになる何かでてこないものかと期待しています。



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