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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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平ノ重盛卿

sigemori01.jpg
内大臣・平ノ重盛卿の肖像のつもりで描きました。

最近のイラストは、スキャンしてから色塗りしていましたが、

今回はペンだけで。

今、気になるのは平家と、奥州藤原氏との関係。

貿易の為に、多くの金が日本国内で流通していたようですが、

743年聖武天皇の「東大寺の大仏」造りから始まって、

1159年以降からの清盛の政権に至るまでに、どれだけの金が、東北地方から

産出したことだろうなと・・・。

天皇の一門による、関東への「皇子の国司派遣」から、

坂東平氏、河内源氏、摂津源氏、奥州藤原氏の抗争は、

まさしく「黄金」を求めての進出によるものだったのかなと。

東北こそ、マルコポーロの言う、「黄金の国ジパング」、エルドラド(黄金郷)伝説の、

原点なのかなあと思う次第です。

「黄金の国」と日本の存在、価値を世界に広めたのは、

実質的に平氏政権を運営していた重盛なのかなあ・・と、想像する次第です。

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蝦夷 クルの神々のページ更新

奥州平泉からの流れで、蝦夷のページを更新。

前からやりたかったことで、

古い地図からいろいろひっぱってきました。

本州東北部でさえ、各蝦夷が割拠し、

熟蝦夷、荒蝦夷などと分類されているわけですから、

広い北海道でなら、猶更、一枚板であるわけがないと思います。

いろんな交流が、各時代にあり、

いろんな興隆が、各地でおきていたと思います。

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平泉殿 藤原基衡

motohira1.png

奥州平泉の二代目、藤原基衡公の肖像のつもりです。

とりあえず、描いてみました。

「水彩ライト」と「ペイント」利用。

爺さんになっちゃいました。

奥州に真の安定をもたらしたのは、この方かな・・。

初代・清衡は義家や頼俊などの源氏の介入が甚だしかったでしょうし。

基衡の代に台頭し、秀衡がそれを引き継いだ感じなのではないでしょうか。

泰衡が本気を出し、東北諸豪を糾合すれば、北畠顕家のように関東政権に大打撃を与えることが

可能だったかもしれませんね・・(妄想。

とりあえず、防衛ラインとなっていた

「白河の関」から北は、スコットランドのように、

独立運動してもいいような気がします。歴史的に。


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織田家と、元関白・一条内基

HP「天下侍魂」、織田家と関わりの深い公家さんを、
記入追加してます。

摂関家の一条内基さんが、今日の気になる人物です。

土佐の一条家とも仲が宜しく、土佐に逗留しているのですが、

土佐に行く前は、山科さんと美濃に来ていたそうです。

美濃と土佐の縁といえば、そう、長曾我部氏と、美濃の斎藤と明智氏。

土佐一条家は元親により、四国統一の名目として利用されまくりですけど、

美濃侍と、土佐侍の濃密な関係にも、一条家が深く関わっていて、

その土台の上に、信長・信忠親子がどつぼにはまる何かが、

成長していってしまったのかな・・と。

一条家抜きでは語れない、もやっとしたものがあるような。

要は、

多かれ少なかれ、一条内基の存在があったことで、

織田信長親子の命運にかかわる、縁が成立しているような気がします。

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板額御前

hangaku01.jpg

越後城氏の姫武将、

板額御前のつもりで描きました。


尊敬する「いのまたむつみ」さんチックに描こう!(そういう世代)

と思いたったのですが、線がぐでんぐでんになってしまいました。


それにしても、むつみさん挿絵の「宇宙皇子」前半はおもしろかったなあ~と。

沖縄、天上界へと、私の頭では映像がついてけなくなっちゃいました。

物語上、皇子の師となる

吉野を開山した修験道の「役ノ小角」さんと、

出羽の山岳信仰、鹿角の地名や、

板額(板角)御前、またの名を飯角姫やら、

「角」つながりで何か関係はあるのかなあと、

なんとなく角が気になる今日でした。

へにゃ字はペンタブレットに慣れてなくてこうなりましたということで(泣。

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城ノ資茂

jyou01.jpg

越後守・城ノ資茂のつもりです。

兄・資長の病死により、急遽家督を相続。

平家からの要請をうけた兄の代わりに、

木曽義仲と対峙します。

ひとことで言えばそんな感じですが、

兄弟仲は良かったのか、

平家に対してのそれぞれの感情、

以仁王(最勝親王)からの「平家追討」令旨に対しての反応など、

資茂のクーデター的な部分はなかったのだろうか?

と疑問をもったりします。

城氏の敗北・衰退・滅亡により、家系図や、それぞれの事績など、

あやふやになっていますが、城氏の存在は日本海の交易面でも、

同じ平家の末裔の清盛との縁で、日本海から瀬戸内海にかけての

「北前船」の祖形のような航路を発展させ、

絶大な存在感を持っていたのではないのだろうかと

思う日々です。

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安倍貞任の軍団、清原武則の軍団を改変。

トップに今日思ったことを書きました。

源ノ義家と、安倍貞任のやりとり。

衣川の館が落城した理由。

安倍氏も、清原氏も実はもっと内部分裂していたんじゃないでしょうか。

貞任は軍事指導者ではあるけれども、名乗りからして安倍氏の本家ではないのでは?

自分の勝ちを誇った義家の「ころものたては、ほころびにけり」に対し、

貞任は敗北の理由を「年をへて、糸も乱れてしまったからだ」と表現し、

蝦夷の同族血縁的な集団的結合が、中央軍事貴族との度重なる婚姻により、

かきみだされ、そこに付け込まれ、分裂し内通者により、落とされたのだと言いたかったのではないでしょうか。

おまえの武勇に自分が劣って負けたのではない、俘囚長の血を引く同族の、

意志のみだれにより、敗北の憂き目にあってしまったのだと。

八幡太郎・義家は、父・頼義の謀略・姦計を恥じ入り、

「改めて再戦せん」と、軍を収めたのでは。

あのやりとりには、風流さとは別の、武人としての尊厳の深い駆け引きがあったのだと思います。

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心の整理

保証人にもなっていただいた大恩ある方が亡くなりました。

訃報を聞いたその日は実感がわきませんでした。

葬儀で、ご尊顔をみてから、
何かいろいろと後悔の念。


最後まで仕事をされていた様子。
「生きざま」だよなあ。

「死のうは一定
忍び草には何をしょぞ・・・、
 一定 語り起こすよの」


命のあるかぎりは、良くも悪くも貴方の事は忘れません。
「忍び草」はたくさんあります。


貴方が守ろうとしたものも、これから危機に晒してしまうこともあるかもしれません。
でもそれは、健全なものに戻したいからです。
自分に正義があると思うから、前進し続けたいと思います。


この道を目指した、根柢の目標は同じだと思います。
貴方のように政治力はありませんが、
不器用なりに自分のできる分野で、意志の一部分でも引き継いで、
頑張りたいと思います。

最後にいただいたメールの教訓を、
実践できるように努力し続けて生きていきたいと思います。


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