プロフィール

登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


最近の記事


最近のコメント


最近のトラックバック


FC2カウンター


月別アーカイブ


カテゴリー


スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

団 平八(描きかけ)

dan3.png

織田信忠の腹心、団平八(つもり)の描きかけですw。

ちなみに、信忠付きになる前は、

信長様の馬廻りでもあった様子なので、黒幌にしました。

団と名乗る前は梶原氏らしいので、三浦氏と同族のような家紋でいいか・・という感性で。

秀吉に与えられた陣羽織のように、織田の家紋の周りに、その人なりの家紋が、飛び回っているのが、

信長様センスかと・・・思ったので、黒幌・赤幌衆の方々、それぞれ、そんなデザインの幌だったのでしょうかねえ。

HPは「織田家の系譜 その1」を更新。

気になったのは、斯波一族。

「尾張」を名乗る斯波は、熱田の元・国造国司家、尾張員職の系譜を意識しているんじゃないかと。

熱田神宮を継いだ藤原季範、

藤原範忠の娘婿、足利義康と、藤原の血が入った足利義兼。

足利義兼は、尾張氏を意識していたのでは。

尾張・武衛家に代わり、尾張の儀・与奪の実力を得た、織田信長は、

熱田の藤原を意識していても、おかしくはないです。

当初は、藤原ノ信長でも、尾張・三河を支配するくらいなら困らなかった・・、

けど、武家の棟梁的な存在を、この先に目指していくならば、

また、公武の一統も視野に含めるならば、平家であるべき・・・。

と信長様の合理的な頭脳が行き着いたのかもしれませんね。

なんてことを考えて1日が過ぎた。



banner_02.gif
↑(^▽^)>ここを一発クリックで一票のご協力を宜しくお願いしま~す”

ブログランキング・にほんブログ村へ←こちらのランキングにも参加しています
スポンサーサイト

陸奥守・ 源ノ頼俊(大和源氏)

raisyun074.jpg

HP『天下侍魂』「源氏の系譜」の頁を久々に更新です。

イラストは源ノ頼俊公のつもりです。征討軍を率いて、

安倍ノ比羅夫につづいて、本州の最北端まで到達したひと・・・。

かもしれません。

河内源氏の源ノ頼義、その息・源ノ義家と同じ時代を生きた人です。

河内源氏の台頭を防ぐためか、

大和源氏の頼俊が陸奥の守に抜擢され、

関東の武蔵平氏、豊嶋氏や、伊豆の大江もしくは伴氏か

しっかりと判別できませんが、惟房という人物が、

頼俊の双翼となって津軽蝦夷を制圧するようです。

比内の源氏勢力(浅利氏など)は、義家の弟・義光の子孫となっていますが、

北東北まで進出した源氏として、大和守系なんじゃないか?と少し思っています。

清原氏との関係も良好だった様子です。

それなりに婚姻関係など、結ばれていたのではないでしょうか。

大和源氏も絡んでの、複雑な関係の中からの、奥州平泉の成立だったんじゃないでしょうか。


banner_02.gif
↑(^▽^)>ここを一発クリックで一票のご協力を宜しくお願いしま~す”

ブログランキング・にほんブログ村へ←こちらのランキングにも参加しています

北条時政の外祖父・伴ノ為房と鶴岡八幡宮

で、昨日のつづきなのですが、

前回のでは伴ノ為房になにも触れることなく、

「侍」の語源についてだけで熱くなっちゃいましたが(笑)

鎌倉で源ノ義朝が活躍する前ころに、

伊豆に「掾」として、伴ノ為房がいたのだと思われます。

その人の娘婿が北条時方、その息子が時政。

時政の娘の政子が、源ノ頼朝の正室になるのはご存じのとおり、

そして頼朝が、鎌倉幕府の象徴(氏神)として造営したのが、鶴岡八幡宮。

その鶴岡八幡宮の宮司家が、大伴氏の子孫の伴氏です。

これは単なる偶然か・・・。

頼朝自身、母は熱田大神宮の藤原季範の娘(由良御前)。

熱田神宮と津島神宮は、婚姻により同族のような関係であり、

三河の野田・牟呂の伴氏とも深く関わりがあり・・。富士の神社とも・・。

義朝、頼朝の勢力範囲は、「応天門の変」で藤原氏により

都を追われた大伴氏の子孫の基盤の上に成り立っているのは偶然でしょうか。

大伴氏は、氏神を中心に、神社と氏子の関係から、軍事的共同体を構築していて、

寄り親と寄り子の関係が、神道(信仰)を通じて成り立っていたといえなくないでしょうか。

古代的主従関係というか、まさに「テンプルナイツ」。

八尾出身の私としては、地元の庄屋(豪農)や、

神社で盛んに興行されていた、地元の相撲大会、

それに関わる、ギャンブルやそれをとりしきる893な人たちの発展形が

武士団(党)かと長年思っていたのですが。

郷土の英雄が楠木正成でしたし、悪党=893さんかと。

でも、それ以上の超古代的な、

上手く言葉にできないですが、

原始国家の神と軍団の変形こそが、武士団なのかと

これ(武家家臣団研究)をやっていて、思えてきました。


banner_02.gif
↑(^▽^)>ここを一発クリックで一票のご協力を宜しくお願いしま~す”

ブログランキング・にほんブログ村へ←こちらのランキングにも参加しています

源氏と、伊豆掾・伴ノ為房など

「天下侍魂」本日の作業内容。

橘氏の系譜、伴氏の系譜を作成中。

陸奥守・鎮守府将軍を多く輩出するので、東国の安倍・清原氏について改変。

そして、源氏の系譜も気になり、追加変更しました。

本日の一番の意義は、

「侍」の意味について。

古代の軍事貴族から派生した、つわもの(強兵)、

物部氏から由来したという、武者(もののふ)、

侍は、さぶらうもの、院や摂関家の護衛の士として

そばに控えるものとして「待」、から「侍」になったと・・。

江戸時代になってからは、

主従関係を結び、御恩と奉公の関係がなければ「侍」ではないと言われています。

果たしてそうなのか? また、江戸徳川史観で、

300年間で思想さえ、なにか捻じ曲げられているんじゃないだろうか。

源氏の系譜をみていて、大伴氏の系譜をみていて、

熱田大宮司として地方へと流れた藤原氏をみていて、

中央政権に、「なにくそ」という反発心をもった、地方軍事貴族の気概を感じます。

「恵美押勝の乱」に凋落し、

藤原信西で打撃をうけた藤原南家の系統の熱田大宮司。

「応天門の変」に失脚した伴ノ善男と、紀氏。

その2流の系譜(母系)の結晶である、源ノ頼朝。

「我七代の子孫に生まれ代わりて天下をとらん」

彼ら地方貴族の中央への野心が、源ノ頼朝を天下人まで推し挙げたのでは・・。

乱世に天下への次節到来を待つ。

その「待つ心」を持つものが、「侍(さぶらうもの、さすらうもの)」だったのでは???

御恩と奉公の関係がないと侍はなりたたないとかじゃないと思います。

南北朝期に、山名宗全の御先祖の時氏が、

「侍は渡りのものにて候」と言い放っているのですから

その頃にも、自らの志のもとにさすらうものという意識があります。

明治維新に、志をもつものが、サムライが、「志士」とよばれたように、

主に仕えるだけが全てではありません。

身体に眠る「侍魂」を呼び起こしましょう。

「歴史偽造の江戸史観、くそくらえですよ!!」

(汚い言葉で失礼しました)

banner_02.gif
↑(^▽^)>ここを一発クリックで一票のご協力を宜しくお願いしま~す”

ブログランキング・にほんブログ村へ←こちらのランキングにも参加しています

旭将軍 源ノ義仲(木曽ノ義仲)

yosinaka01.jpg
「義仲」のつもりで描きました。

9時すぎから書き始めて、
今、UPって感じです。2時間くらい。

絵の神様おりてきたかな?
ペン描きしたものを、スキャンして、ペイントで色つけてみましたが・・。

今の画力では、これが精いっぱいw

木曽義仲が越後の国府に乱入し、
柏崎の交易商人、花蔵となにやら密談したとか。
花蔵の背後には、藤原ノ秀衡がついていたとか。

義仲と、秀衡は同盟関係にあり、
義経は単身飛び出して行くしかなかったのか・・。

頼朝的には、義経を迎え入れても、
秀衡とのつながりから、スパイという疑念が払拭できなかったのかも
しれませんね・・。

頼朝の性格が歪んでいたわけではない・・と、解釈すべきか。
でもやっぱり、頼朝をいまいち好きになれませぬ。


banner_02.gif
↑(^▽^)>ここを一発クリックで一票のご協力を宜しくお願いしま~す”

ブログランキング・にほんブログ村へ←こちらのランキングにも参加しています

大須賀胤高(康高)のページ更新

oosuga02.jpg
締切から解放されたので、お絵かき再開しましたw。

大須賀さんのイラストをなんとかしたいなと思ってましたが、、、。
胤高というもとの名前は、

美濃の東千葉家からの血流ということで、千葉氏の通字である、「胤」が
重要な意味を現していたと思います。

信長様もそれを重視し、大規模な軍事援助をして、
武田残党や、関東の後北条氏に対しての
前線に置いたのだと考えます。

それを家康が、「本能寺の変」ののち、なんとか御機嫌をとって、
自分の腹心に加えようとして、
「康」の字をあたえたのではないでしょうか。

徳川*神将に加えられ、江戸300年史観の中で、
歴史が歪んだものと思われます。

さかのぼりますが、初期の大須賀家は、
関東公方をけん制するために、室町幕府が編成した、
将軍直参の奉公衆の中から、
関東の千葉氏と縁のある、美濃の東氏が旗頭に選ばれ、
酒井氏などとともに、関東に乗り込んで行って、敗退したその残軍が
三河の地にあり、三河の一色氏(関東公方の軍奉行の縁)と牽制しあいつつ、
そのライバルたりえる血筋の吉良氏に従っていたのではないかと

私は考えます。


banner_02.gif
↑(^▽^)>ここを一発クリックで一票のご協力を宜しくお願いしま~す”

ブログランキング・にほんブログ村へ←こちらのランキングにも参加しています

天下侍魂の更新

メモ書きです。

リンク先のおかしくなっていた、後鳥羽上皇の軍団のページ修正。
比企氏、和田氏の家臣団をやや修正。
由利氏の扱いに苦慮。仁田氏も同様。
和田・横山の縁、横山党の惣領の入れ替わり。

頼朝の家臣団のページ修正、武蔵七党について。
中山氏の存在。先祖は高麗氏・・。

畠山討伐軍の河越氏。生き残りの河越氏が武蔵検校職の争奪か。

平ノ清盛家臣団のページ修正。平家方の武蔵七党追加。

banner_02.gif
↑(^▽^)>ここを一発クリックで一票のご協力を宜しくお願いしま~す”

ブログランキング・にほんブログ村へ←こちらのランキングにも参加しています

織田信長の小説更新

「火焔の将星」の表紙をつくってみました。

織田信長が、どうしてあそこまで世の中に反発するのか、

幼少時について、想像をふくらませてみました。


banner_02.gif
↑(^▽^)>ここを一発クリックで一票のご協力を宜しくお願いしま~す”

ブログランキング・にほんブログ村へ←こちらのランキングにも参加しています

 | BLOG TOP | 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。