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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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「濃尾、与奪」

 こないだの続きです。

『公記』にて、他に信忠さんに「与奪」するのは、尾張・美濃の国譲りの時です。

これも、将軍から与えられた守護職とか正式なものではなくて、

補任されなくても、実質上の権限を持つ、織田家の惣領(信長様)が、

嫡男の信忠に、「おもいのまま」に、公的に美濃・尾張をあたえるのだ!

ということなのでは・・。


「生殺与奪」とか、生かすも殺すも私のおもいのままだという意味ですし、

信長様はフロイスに「公方も関係ない、我が意の下にある」といってるもですから、

我が意で、既存のものから奪い、意中の者にそれを与えるという意味での

「与奪」だったのかなと、思います。




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信長様の「天下の儀、御与奪」について

1582年「甲州乱入」後の、嫡男・織田信忠への
「天下の儀、御与奪」について、
思い閃く事があったので書いておきます。

今まで、どうしても「与奪」という言葉にしっくりきていなかったのですが、
今朝、意味が判ったような気がしました(笑。

将軍・義昭の官位剥奪に失敗し、追放処分となった禍根をここで断つ、
と心に決めた信長様が、

「天下の儀(将軍職)、御与奪」という宣言を日本中に示した言葉だったのでは
ないでしょうか。

毛利家が将軍を旗頭として、織田家と戦う「大義名分」を掲げたため、
あわよくば大内義興のような、京都に上り覇者となることが、
毛利輝元には保障されている訳です。

織田家が担ぐ大義名分は、
朝廷から、将軍職を平和裏に、もらうこと。
それが貴族たちのだししぶりを呼び、
義昭の官位剥奪もなく・・。

埒が開かないと感じ、
織田家としては、実力で将軍を倒し(殺害し)、将軍を亡き者としてから、
織田幕府を開設して、将軍を宣言する!
と言ってしまったんじゃないでしょうか。

光秀が手紙に書いた「信長親子の悪逆非道」とは、
朝廷をないがしろにして、天下運営をすると言った、
織田家に対する当然の「天道」の報いだったのだと、
「本能寺の変」を正当化する思いだったのではないでしょうか。

どうでしょう。
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クルとは なんぞや。

HP「天下侍魂」に番外編のページをつくりました。

北の国からってかんじです。


それにしても、口頭伝承というのは、

いつの頃までさかのぼったものなのでしょうね・・・。


モンゴロイドの「太古の神話」なのか、

移民のもってきた、その人たちの新しい神話なのか。


最近は、こんなことが気になってますということで。

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