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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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織田(武田)勝長

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織田信長の息子にして、武田(諏訪)勝頼の養子となった

織田勝長さんのつもりで描いてみました。

久々のイラストです。

自分の画風を忘れた(笑。


勝長さんは、羽柴秀吉の養子となった、

信長様の四男・織田秀勝さんよりも

年長なのではないのか?と最近はいわれております。


なので四男は勝長さんで、

五男が秀勝さんだったんでしょう。


最初、東美濃の雄、遠山一族に養子にだされ、

岩村城に在城していたところを、武田家の誇る「甲州の猛牛」

秋山信友(最近は「信友」名ではありません「虎繁」らしいです)

により捕虜となり、

甲斐につれていかれますが、

信玄の死により、武田家後見人となった信玄次男・諏訪勝頼は

自身の境遇と重ね合わせて、勝長さんを哀れに思ったか厚遇し、養子にして、

勝頼の勝つと、信長の長をあわせて、勝長と名乗らせ元服させたといいます。


武田信玄の娘の松姫は、信長の嫡男・織田信忠と婚約していましたし、

信忠、勝長は、兄弟の中でも近しい間柄となっていたでしょう。


勝頼により織田家に返還されたのも、

「哀れ」の気持ちの現れだったのではないでしょうか。

勝頼は「強すぎたる大将」と『甲州軍鑑』ではこきおろされていますが、

実は情の深い武将だったんじゃないのかなあ・・と考えてしまいますね。


「本能寺の変」に兄、信忠のお供をしていて、

二条城で若い命を散らせてしまいます

(信忠が1555年生まれなら27歳、
 信孝・信雄と同じ1557年生まれなら25歳、
 勝長は20代前後か)。


できることなら、

勝頼の息子、武田信勝の亡き後、

武田を正式に相続して、織田一門武田氏として、

名門を復活させてほしかったですね。


それにしても信忠さんは、

文書上の記録では、15歳頃から戦場に連れて行かれ、

27歳で戦死するまで、ずーーーーーーーっと戦場。

信長様の息子でいることは、いいんだか悪いんだか、

信忠、勝長の二人、

自然な寿命を全うしてほしい兄弟でした。

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