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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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大山津見神 崇拝

自分の家のルーツについて、墓の家紋から。


家紋の中心に据えられるのは「剣木の字紋」、

それを取り囲む、木瓜紋。

木瓜紋は 外囲いが変形し、陰木瓜状の輪郭がつくが、

その中央は浮かし彫りで、陰ではなく、

氏に伝わる伝説の由来から、源氏の「二つ引き両」を

木瓜に上手く取り込んだ、

変形「二つ引き木瓜紋」なのではないだろうかと推測されます。


「剣木の字紋」が表す大山津見神は、日本古来の土着神。

かつて天皇家を支えた大伴氏族が信仰していたと推測されますし、


「木瓜紋」は瀧川一益など、伴氏系の氏族が持ち、

尾張津島社や、三河天王社など、「牛頭天王」=「スサノオ」を

崇拝する神社の神紋でもあります。


また氏の由来としては、源ノ頼義、

源ノ義家の奥州遠征と、


源ノ義朝、頼朝親子に従い、


足利尊氏に従っては九州、関東に従軍し、

源氏の「二つ引き両」を与えられたと伝説があります。


室町時代には幕府以外に、

御所の門番を勤める宮侍の家筋もおこり、


これも大伴氏を祖とすることが、

関連していると推測されます。


かつて「任那」の司令官でもあり、

「天武天皇」の政権奪取や、朝廷内部の争乱に関わり

陸奥鎮守府将軍も務めるが、やがて表舞台から消える大伴氏。


天下人の影にはいつも大伴氏がいるのは、

古代からの軍事氏族だったからだろうと・・。


神社に紋が残るのは、古代神の神官の系譜であることも

意味していると推測されます。


今の自分の境遇、堕ちたものだぜ。w

遠い目(妄想。

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島原の乱

3代将軍徳川家光の代、1637年島原半島南部有馬村で一揆がおこる、

島原城主・松倉勝家、天草城主・寺沢堅高の失政によるものだった。

幕府の奉行の板倉重政、石谷貞清は鎮圧に失敗。

老中首座・松平(大河内)伊豆守信綱、

副将に戸田氏鉄が代わりの将として派遣される。


大河内氏は、松平一族が台頭する前の三河の雄。

三河吉良家の家老を務める家柄で、

南北朝時代「菊一揆」を率いて南朝方部将として名を馳せていた。


松平(大河内)信綱に従い、

三河の古豪達の、九州島原移住が起きる訳である。


我が家の、父方の系譜は、

このとき三河から離れ九州に移りすむことになった。


(子供達はルーツに興味がなさげ・・)

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