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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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三好範長(慶長)

miyoshinorinaga01.jpg

戦国時代の覇者、三好範長(長慶)のつもりで描きました。

朝おき一番に描いてみましたが、

目がしょぼしょぼする。というか線がぼやけてみえる・・。

老眼か’(ぐはっ。(ギレンっぽい)


しばらく描いていないと、腕が鈍るというか作画崩壊しますね(汗。

と言い訳をならべつつw

織田政権の前の三好政権、

これは戦国を統べていたとは言えないものだったのか、

最近疑問です。

「半将軍」管領・細川政元のクーデターから、下克上があたりまえで、

細川氏が、鎌倉北条家のように政権をすでに足利家から乗っ取っていて、

執権・北条氏のその下の、内管領・長崎氏のように、

御内人の中での権力争いがあって、

細川重臣の中で三好家が勝ち残り、

信長上洛前の時代に、覇者として戦国に君臨していたのでは・・

という感じです。

何を言いたいのかというと、三好家を中心に物事が動いていたと、

今川義元の仮想敵は、織田信長よりも三好、

北畠や、斉藤、朝倉の仮想敵も三好、

浅井長政や、織田信長の独立も三好の後押し、

新興勢力は、すべて三好家になびいていたと思うのですが、如何?_


信長台頭以前の事象は、

三好長慶が影で動いていたという前提で捉えて、

改めて年表を見てみると、

何かおもしろい発見があるかもと

おもえる今日この頃なのです。



織田信秀がしきりに、三好範長(長慶)と連絡をとっていた様子

1533年の佐久間入道全孝の西三河進出や、松平清康の反撃も、

細川・三好の政権闘争 絡みなんじゃないのでしょうか?

三好・織田には大阪湾、伊勢湾をめぐる何かがあったんだろうと

想像が膨らみます。

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機械の故障?

http://vivaweb2.bosai.go.jp/viva/v_rsam.html

富士山とか震度計の計器の

集約するサーバーの異常?


公式のコメントがTOPにも

でてきてないし・・。


確認作業が遅れているのか?

それとも真実、地下で異常事態発生なのか・・。

早急に関係者の何かコメントが欲しいものです。


明日から出張なのに、

家を空けるのが良いのか悪いのか。


阪神大震災といい、この先

生涯に何回、地震を経験するのだろう。


戦国時代の「家忠日記」も地震の記事が多いので、

どの年代に生まれても、

地震を経験するのは日本人の宿命なのかな。

美作守護・佐々木秀貞

建武新政直後の美作はどうなっていたのか。

今、頭から離れないのテーマです。


「佐々木秀貞」

京極高氏の息の高橋秀宗と、

四郎左衛門尉で名乗りが同じということで、

同一人物なのかもと・・。


秀宗の母は室町幕府政所所司にもなる、実力者、

二階堂時綱の娘。


二階堂氏が中国地方にも勢力を扶植していたのなら、

秀宗の美作守護抜擢もありえなくないのでは。


ここで更にややこしくなるのが、

富田判官という名乗り。

出雲守護、塩谷(塩冶)判官の高貞一族にも、

出雲富田月山城と関連のある富田氏があるとか。


近江にも富田があり、京極高氏の子供が

富田を名乗っても違和感はなし。


家紋も、塩谷か、京極かで違いがあるようですし、

尼子氏は京極の系統のようですが。


どこで入れ替わるのか。


というか、高ノ師直に追われて塩谷氏が滅亡した後

どうなったのか、

足利直冬の側近として活躍した秀貞の息子、

佐々木直貞の事績を消すために何かを抹消したのか、


それとも尊氏派の父・京極高氏に従わず、

母方の二階堂時綱に従い直義派となったため、

佐々木秀宗の事績がよくわからなくなったのか・・。


それとも毛利家が、美作を支配した際に、

尼子(京極佐々木)氏の系譜を抹消するために

すべてを排除したのか。


どうにも気になる、中国地方の佐々木氏です。

小幡信貞

うちわ012

とりあえず描いてみた。

戦国時代に関東で名を馳せた、

「上州の赤武者」、小幡氏の方のつもりです。

同じ武田家臣団の、「飯富(オブ)の赤備え」と

ガチでぶつかったら、

どっちが無事でいただろうかと

考えなくもないです(笑。


飯富は、弟の山県昌景の赤へ、

小幡と真田はいろいろ軋轢があったでしょうが、

一緒に織田家の瀧川一益に従っている時期もあるし、

「小幡赤備え」は、同じ上州の真田に、一部は吸収されて、

豊臣・徳川の争い「大阪の陣」に

散っていった老将や、跡取りもいたのかなあ~と、


瀧川一益に従い、織田家中でも頭角を現して、

奥州を懸ける赤武者の記録を、

できれば見たかったものです。



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