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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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織田主力軍の変遷と方面軍への移行

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出張から久々家に戻ったので、
一番やりたかったこと ということで
描いてみました。

よく雑誌に載る織田家の勢力図は、
いつも1582年「本能寺の変」直前。

その先を想像して期待値をこめて
作成される場合が多いと思います。

それが原因で織田軍の主力を
誰がになってきたのかということが
希薄になっていたのかなと思う次第であります。

柴田勝家が宣教師に
何故 副将軍と呼ばれていたのか、

佐久間信盛が何故 譜代重臣筆頭と
呼ばれていたのか、

瀧川一益と縁を結んだ真田が
何故 あれほど喜んだか。

柴田は北陸御番役に抜擢されるまで、
軍を纏める重責を担っていたのでは。

佐久間は味方ケ原や長篠にも参戦し
各地に与力を持ち、これまた重責を
担ったのでは。

瀧川は畿内では伊勢の木造氏と縁を持ち、
大和宇陀三人衆の秋山と縁を持ち、
山城では有力豪族・川島(革島)家と縁を持ち、
河内の富田など文化人で有力な豪族を腹心とし、
多大な影響力を有しています。

皆、「天下布武」多大な功績をたて
絶頂期があったのに、

「本能寺の変」以後に
台頭した人物により 手柄を奪われ、

過去の人として忘れ去られてしまったのでは
ないのでしょうか。

ということでHP「天下侍魂」に図を追加(笑。

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