プロフィール

登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


最近の記事


最近のコメント


最近のトラックバック


FC2カウンター


月別アーカイブ


カテゴリー


源 頼義

nixtuta959.jpg

今日の気分で 源ノ頼義公のつもりです。

源氏の「将軍様」です。

頼信からかけのぼった源氏の惣領の座を、

頼義が確実なものとしたから、

義家が八幡太郎と尊敬を集めることが

できたのかなあ~と、系譜をさかのぼってくうちに

思えてきました(笑。

頼信あたりからの興隆期を小説とかにしてみたら、

けっこうおもしろいのかなあ~と思う今日この頃。

源氏に興味のある方は、

リンク先のHP「天下侍魂」、源氏の系譜を

是非 訪れてみて下さい。

banner_02.gif
↑(^▽^)>ここを一発クリックで一票のご協力を宜しくお願いしま~す”

ブログランキング・にほんブログ村へ←こちらのランキングにも参加しています。

上と同じく一発クリックで応援お願いシマス。
押してくれた貴殿に感謝でぇ~あります。
スポンサーサイト

赤橋守時

nixtuta956.jpg

今日の気分で、鎌倉時代の幕末の英雄、

16代執権<1327~1333> 赤橋守時(1295~1333).



得宗の分家筋。最後の執権となる。

実権は北条高時と、執事・長崎高資が掌握していた。

1333年妹婿の足利高氏が反逆し、

鎌倉を攻撃する新田義貞軍に対して、

巨福呂坂で激闘し自害。39歳で没。


のつもりで描きました。

名誉職とはいえ、最後の執権です。

足利尊氏の嫁だった

妹の登子さんが無事に脱出できたのも、

彼が 北条高時や長崎円喜を

うまく気をそらしたのだろうな~と

ついつい想像してしまいます。

実際 どうだったのかなあ~。

banner_02.gif
↑(^▽^)>ここを一発クリックで一票のご協力を宜しくお願いしま~す”

ブログランキング・にほんブログ村へ←こちらのランキングにも参加しています。

上と同じく一発クリックで応援お願いシマス。
押してくれた貴殿に感謝でぇ~あります。

祝 2万カウント!武家家臣団研究「天下侍魂」

nixtuta953.jpg

今日の気分で織田信長様のつもりです!

HP「天下侍魂」

皆様のおかげで、

20000カウントを越えました。

これからも精進して、

(妄想)武家家臣団研究に没頭しよう(笑。

丹羽長秀、瀧川一益、

織田信忠。

後世の評価の低い武将を、

頑張ってアゲアゲしていきたいと思います。

これからも「天下侍魂」を

よろしくお願いいたします。

banner_02.gif
↑(^▽^)>ここを一発クリックで一票のご協力を宜しくお願いしま~す”

ブログランキング・にほんブログ村へ←こちらのランキングにも参加しています。

上と同じく一発クリックで応援お願いシマス。
押してくれた貴殿に感謝でぇ~あります。

北条泰時

nixtuta952.jpg

今日の気分で鎌倉時代、

鎌倉幕府第三代執権「北条泰時」さんのつもりです。

最初の名称は北条頼時。

江間頼時 (1183~1242)北条泰時・太郎・相模太郎・武蔵守・駿河守・左京権大夫・修理亮。☆「得宗3代」。六波羅探題職<北・1221~1224>。北条義時の嫡男。母は阿波ノ局。三浦義村の娘婿。のち安保実員の娘婿。1212年「和田の乱」に将軍御所守備。戦功により陸奥遠田郡地頭。1221年「承久の乱」上洛軍。六波羅探題北方奉行。1334年北条経時の元服式に列席。娘婿に三浦泰村、足利義氏、北条朝直、池頼清。息に時氏、時実、公義。60歳で没。

(天下侍魂より)

六波羅探題職を勤めてる最中に、

父が死没してしまい、鎌倉にいない間に

弟が執権職に擁立されてしまいそうな状況となり、

足利義氏と合流して、迅速に鎌倉を

軍事的に制圧するという、

なかなか危機的な家督継承をしています。

自分的には、

鎌倉幕府は三代目ががっしり基礎固めをして、

あとの何世代が惰性で北条氏が続いたような

印象をもってます。

というわけで、「天下侍魂」は

鎌倉時代を重点的に、南北朝初頭を更新中です。


banner_02.gif
↑(^▽^)>ここを一発クリックで一票のご協力を宜しくお願いしま~す”

ブログランキング・にほんブログ村へ←こちらのランキングにも参加しています。

上と同じく一発クリックで応援お願いシマス。
押してくれた貴殿に感謝でぇ~あります。

北ノ庄城(想像図

kitanosyou01.jpg

まったく想像で、柴田勝家の居城、

越前「北ノ庄城」のつもりで描いてみました(笑。

当時の資料は一切ないそうです。

現在、ご近所にある

福井城は徳川時代に、徳川風の縄張りで、

北ノ庄からやや離れたところに造られた

平城らしいです。

北ノ庄城は、佐和山城のごとく

破壊されたようなのですが、

本丸の一角が発掘されて、

今は公園になってるとか。

二つの川の合流地点で、二方向は背水。

長篠城のような感じでしょうか。

川に挟まれる三角地帯の中央は

少し小高いイメージで、小牧山のような縄張り。

(伊勢の田丸城も小牧に似てるような気がします。

 長島城も本丸郭は丸みのある感じします。)

で石垣の内を含めると9層で、5階の天主。

フロイスの記す石屋根(瓦?)。

で、こんな感じでどうでしょう~(妄想~)。


banner_02.gif
↑(^▽^)>ここを一発クリックで一票のご協力を宜しくお願いしま~す”

ブログランキング・にほんブログ村へ←こちらのランキングにも参加しています。

上と同じく一発クリックで応援お願いシマス。
押してくれた貴殿に感謝でぇ~あります。

 | BLOG TOP |