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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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伊勢長島城

nagasima01.jpg

今日の気分で瀧川一益さんの居城、
伊勢長島城のつもりで
描いてみました。

近江琵琶湖のウォーターフロント計画ばかりが
とりあげられますが、

津島、熱田を中心に、
長島や、大湊、九鬼氏の志摩方面や、
水野氏、戸田氏、渥美氏、佐治氏がらみの

伊勢湾を支配するための
築城計画もあったんじゃないのかなあ~
と思う今日この頃です。

地元の方々には常識で、自分が
勉強不足でしらないだけかもですが(汗。

きっと東海地方の
家康関係の築城計画も、
信長様の使者が何度も視察に訪れますし、
信長様の指図を仰いでいたと思います。。

畿内の戦闘では、
毛利軍が上月城戦で大鉄砲を
持ち出してきたといいますし。

そんな先端技術の戦闘を経験して
死活問題ですから、
それに対応する城作りを
織田軍はおこなっていたと思います。

常に戦闘から学習し、
越前衆が畿内戦によばれたように、
戦闘技術の伝達もし、
それにより各方面での織田軍の技術的優位を
確立していったのではないでしょうか。

瀧川軍が関東に配置されるのも、
畿内での戦闘経験から
当時の最先端をいってたから
じゃないのかなあ~。

本当に当時の最強だったんだと思います。


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勾当内侍

nixtuta951.jpg
初、女性イラストですw
(「さくら」のPVをみた後なので 影響うけてます。笑)

「勾当内侍」のつもりです。

新田義貞の寵愛した妻、

4人目の(ぇ。

「天下第一の美人」と噂の女性ですが、

高ノ師直がちょっかいをかけてないような。

京美人やから 眉どうなってんやろ?とか

考えて、上につけてみましたが、変かなあ~?。

当時の美人顔って、もっと丸顔なんやろか・・。

ひとめ惚れしたことになってますが、

新田義貞が彼女に送った歌、

「わが袖の 泪にやどる 影とだに

 しらで雲井の月やすむらん」

猛将が恋に泣くぐらいですから、

六波羅づとめとかで、昔から噂をきいてて

ずっと憧れの存在だったのかなあ~

とか 想像してしまいます。

鎌倉を落として、武将として絶頂期に

相思相愛になれて 報われたので、

「置文」で先祖代々の野心に忠実に生きた

足利兄弟のハングリーさに及ばなかったのかな~。

などなども 考えてしまいます。

ある意味、

歴史にすごい影響を与えた女性かもしれませんね。


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源ノ為義

minamoto946.jpg

今日の気分で源ノ為義さんのつもりです。

「天下侍魂」は源氏の系譜のページを更新中なので。

八幡太郎の義家の跡、嫡男・義親が西日本で

大宰府の大江に汚名を着せられ、

追討されてしまいますが、

(奥州で陸奥守や鎮守府将軍を望んだように、

 九州では大宰大弐を望んだのかもしれませんね。

 大江がライバルを蹴落としたのでしょう。)

替わって嫡男となっていた親平家の義忠さんが、

叔父の新羅三郎・義光に暗殺され、

その跡に義忠さんに養育されていた、義親の息子の為義さんが

河内源氏の惣領となります。

義忠さんと平家の娘との間に生まれた、

河内源太は義朝に従うようです。

ややこしい関係です。



河内源氏の跡取りとして認識されているということは、

為義さん、それなりの器があったということなのでしょう。


評価されても良い武将なのかなあ。

にしても長男の 源ノ義朝が暴れん坊すぎて、

親子で殺しあう結果となったので、

評価のしようがなくなってしまったのかなあ。


義朝も頼朝が天下をとらなければ、

もっとも最悪な武将とされてそうですけど。


やはり伝わるのは、勝者の歴史なのだなあと思います。

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平ノ敦盛

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今日の気分で平ノ敦盛さんのつもりです。

16歳で散った平家の若武者です。

平ノ敦盛 (1169~1184)(無官)大夫。

清盛弟・経盛の三男。

笛の名手。「一ノ谷」で熊谷直実に討たれる。

16歳。<幸若舞、謡曲「敦盛」で歴史に名を残しました。>


平安時代やし、やっぱし お歯黒かなあ。

眉毛もやっぱり、丸い眉かな。

前髪は何歳までおろしてたんやろ。

荒武者の熊谷さんが、首を取る前に

たじろぐほどの 幼さ。

周囲の期待に応えるため、

ずっと頑張ったでしょうに・・。

せつない 一生です。

この はかなさが、

戦国の若者の共感を得たのかなあ。

とゆうわけで(どおいうわけか)、

「天下侍魂」は平家一門の系譜、

平ノ清盛の家臣団と軍団を更新しています。

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平ノ行盛

yukimori940.jpg

平ノ行盛 (*~1185)播磨守・左馬頭。

播磨国司<知行国主・平ノ宗盛の代官か。>


平家一門。平ノ基盛(事故死)の長男。
1180年以仁王、源ノ頼政の謀反を鎮圧する。
1181年北陸道追討使の後詰軍の副将。
平ノ教経の与力。北陸木曾義仲討伐軍。「倶利伽羅」に参軍。
1184年「一ノ谷の合戦」にて一ノ谷陣を守備。
「三草山の合戦」「屋島の合戦」で義経に敗れる。
従兄弟の資盛・有盛と共に
「壇ノ浦」で入水自害。

父・基盛が1164年に24歳で事故死。

基盛、20歳くらいの頃の子供とすれば、

1158年頃の生まれとなって、

平ノ重衡や、維盛など錚々たる一門衆と

同世代くらいなのかなあ?。

そのメンバーの中から「播磨国」という

平家の本拠地を任せられるくらいですから、

なかなか見込みのある人物だったのかなあ~と

漠然と思ってしまいました。

この土日に、

「平家一門の知行国・受領国」を調べてみようと

ページを独立させてみたのですが、

「中世ハンドブックス」とか手に入れないと

限界がある感じです。

手元にある限られたものでは、

よくわからんとです・・・。


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