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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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阿曽忠景

asoo939.jpg

阿曽忠景 (*)三郎。九州侍。肥後の豪族。為朝乳母の夫。源ノ為義の意向で、九州で為朝を養育する。

ということで忠景さんのつもりで描きました。

荒くれ九州男児っぽいイメージなんですけど(笑。


源氏の惣領、源ノ為義が我が子を託した九州侍で。


為義の父・義親ができなかった、九州制圧を託された

源ノ為朝(のちの鎮西八郎)を立派な侍に育てます。


「天下侍魂」でちょうど平安・鎌倉時代を整理してたので

こーいうイラストです。

源氏の系譜のページがおもくなってきたので分割して、

木曾義仲の家臣団と軍団で1ページ作成しました。

あとは後醍醐天皇のページから、

新田義貞の家臣団と軍団を分割しました。

この方がきっと見やすいとおもうので。


完成する日はくるのだろうか(笑。

まあ、楽しいからっ ええかああ~w(三枝師匠風。


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祝19000カウント達成「天下侍魂」

odano795.jpg

とりあえず、かいとこということでw


武家家臣団、武将について語るホームページ

「天下侍魂」が19000カウント達成しました。


「ありがたいことです。」


次ぎは目指せ、20000カウント!!ですね(>▽<)


この土日で挑戦したことは、

鎌倉幕府の全国の守護職者を調べきる!

つもりだったんですが、

資料が少なくて。

鎌倉時代って古いだけあって、

さすがに戦国時代よりも

伝承が、あやふやなんですねえ。

調べてみると、そおゆうこと(わからないんだということ)

が判ってきます(謎っ。


1221年「承久の乱」に幕府軍として

若狭で孤軍奮闘した惟宗忠季。

津々見とか島津で現在は通ってるのですが、

戦国時代は「惟宗」という苗字のほうが

有名だったりしないのかな?と思っています。

「比企の変」に連座しやっと赦免されたとこだから、

幕府に忠節を尽くして「宇治川の合戦」に散ります。



織田家での惟住やら、惟任やら、

北畿地方の旗頭となった名字は

この人にあやかってたりせえへんのかなあ~(素朴な疑問。


というわけで、

歴史って妄想できておもしろいです。

今後ともざれごとにお付き合いしていただければ幸いです。

しょうちん記ともども、リンク先の「天下侍魂」もよろしく

お願いいたします。


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長宗我部元親

motochika934.jpg

今日の気分で、南海土佐の雄、

長宗我部元親です(のつもりです。

若い頃は姫若子とよばれるほどに、美形。

長身。

かつ太陽に近い土佐でもあり。

潮風で鍛えられた強さという印象なんですけど。


で、一領具足の侍衆の親方なので、

普段は漁師さん風の軽装かな?っという

イメージで描いてみました。


最初、織田家とは同盟関係だったので、

四国のことは信長様が「切り取り次第」と

保障していますが、

元親さんの能力が

信長様の予想をこえていたのかなあと思います。


佐久間信盛さん宛ての折檻状で、

「このうえは、どこかの大名と一戦におよんで

 一国くらい平定してきたらどうなんだ。」

という信長様の言葉が、

どこの国の大名に向けられてたんだろうと、

おもうわけなんですが。


元親さんと、信盛さんの成長を比較して


信盛が本願寺と対陣している間に、元親さんが

四国を平定する勢いで急成長してしまったことへの

焦燥とかが信長様にもあったんかなあ~と思うんですが

どうでしょう。


加賀を平定した柴田勝家のように、

淡路・讃岐・阿波に進出していれば、

本願寺退去後の論功行賞で、

恩賞として「分け与える土地がない!?」

ということもなく、

軍団長の信盛さん自身が失脚することもなかったかも

しれないのかな?とふと思いました。


信長様が茶器に目をつけ、

その価値を一国や一城なみの

ものへと昇華しようとしたのも、

宗教勢力本願寺との闘争後の、

家臣への褒美のための

隠れた苦労だったのかなあとも思うんですが、

考えすぎでしょうか・・・。


宗教勢力(本願寺)=「元寇」みたいなもので、

恩賞という餌を

見つけるために試行錯誤した

結果だったんじゃないでしょうか。


それにしても、

「本能寺の変」で首がつながった元親さんは、やはり

首謀者のひとりだったかも?でしょうかねえ~。



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村上義清

kanamori932.jpg

なんかちっこい落書きですが、

HP「天下侍魂」(最近、充実させようとやってますw)

の義清さんのところに

貼り付けようと思い描きました。



武田信玄を何回か打ち破った

北信濃の豪族、村上義清さんのつもりです。

ご先祖さんには、

鎌倉時代末の大塔宮(護良親王)配下の武将で、

吉野の蔵王堂のところで、

護良親王の影武者(身代わり)となって、

腹かっさばいて、腸を敵に投げつけたという

村上義光さんがいたと思います。

英雄の家系ですね~。


米沢市上杉博物館、「川中島合戦図屏風」に

でてくる義清さんを意識しました。

赤い母衣と背中のしょい飾り、兜の前立て、

派手やなあ~。

実戦でのこれだけの装備。

精一杯 かぶいてますよね。かっこいい。

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