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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
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織田信長の近衛軍(信長旗本)

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今日の気分で信長様の近衛軍の配置。

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縮小版です。

odakonoe01.jpg
拡大版w

南近江はもちろん、安土城のお膝元でもあり
信長様の直接支配が一番浸透していたことでしょう。
赤色に塗りつぶした部分。

旗元(旗本)は規模が強大に膨れ上がりすぎて
信長様の目が全軍に行き渡る規模ではないと
おもうので、直接的に軍を動かすのは
きっと信長様馬廻衆のリーダー、
福富秀勝さんが本締めだったのでしょう。

変後に秀吉さんが手紙で、
信長様は福富の活躍で生きて脱出していると
他の武将にあてて書いているのが証明するものかと。

馬廻りの京極高次さんは
北近江じゃなくて西湖の傍に領地を与えられたようですね。
それに六角氏の嫡流は、観音寺城に迎えられていたようで・・。

細川昭元さんや、旧勢力の貴種はできるだけとりこんでいく姿勢が
信長様にはあったのではないでしょうか。

ねこそぎなで斬り、破壊するような印象がありましたが、
朝倉景鏡、穴山信君、けっこう一門とよばれる人物も
赦免しているような気がします。
旧権力者が従うことにより信長様の「天道」というか
天下支配の正統性が強調されていたのではないでしょうか。

ピンク色は準直接支配圏というか、
「甲州乱入」に動員された範囲というか。

信長様の指示に従う遊撃軍団長の配下。

惟住(丹羽)長秀さんは、昔から
信長様の準旗本を率いているようなもんじゃないでしょうか。

あとは軍団が拡張するにつれての再編成のさきがけというか、

北陸方面軍からは、金森、原、不破は切り離されつつあったのでは。
北畿(東・若狭)方面軍は、秀吉の長浜は堀秀政に与えられていたといいますし、
長谷川秀一に与えられていた比田城=肥田ならば蜂屋頼隆さんのとこが
譲られたと推測すると、信長様の側近五奉行がどんどん旧城持衆の
居城を得て、旧城主は軍団長へ出世していってることになります。

ちなみに菅屋長頼は前田利家の越前府中といいます。
(佐々成政の旧領は野々村さんでしょうか?
それとも忠功の不破さんへの恩賞として吸収されたのかな?)

瀧川一益さんの北伊勢もきっと
側近の誰かにあたえられていたのでしょう。

自分的には土地勘のある
津島衆と縁のある福富秀勝さんが有力w
「本能寺の変」でのきなみ主要人物が死んでしまったので、
その領地は、支配者の交代も確認できぬまま
あっというまに生き残った武将の
草刈場となり塗り替えられたのかもしれません。

で、織田家の勢力圏の中の紫文字は、
方面軍の軍団長の与力ではあるけれども、
直接は信長様との主従関係であり、
局地的軍事的指揮にだけ軍団長に従うが、
領地支配はある程度自立性をもっていたのかなあ
と推測できる組下大名です(笑。

注:こんなかんじかなあ~という妄想ですので
信じないで下さいね。

徳川、羽柴の指揮下の方面軍に関しても、
与力は直接的な軍団長(秀吉・家康)との主従関係ではなく、

「本能寺の変」によってすべての結びつきが
変化してしまったのだと、個人的には思っています。

松平家忠日記の「家康」→「家康様」への変化などから。

惟任光秀の軍団も、
一部の将だけが目的を知っていて、

下級クラスの兵は
「本能寺の変」で共犯者とされたことによって
軍団が変容したと・・・(悶々。

惟任光秀の畿内管領説なんてありえないと
個人的には思ってます(すみません)。

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安土城

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連休中に作成しましたw

「安土城」でっす。

ひさびさのプラモ。

くみ上げる前に色塗りすべきでした。
細かくて思い通りには塗れません。

最上階は中国宮殿のような赤瓦?

上の2層は金閣寺のような黄金色。
窓枠は「血の十字架」をイメージして(え。

下の層は壁は黒色、要所要所は金。

あとは塀ですけど・・。

いろんな城の壁をあとでみてみたのですが、
織田系のものは
白壁じゃなくて、やっぱ黒壁のような気がします。

塗りなおそう(笑。

それにしても天主の下層の屋根の
張り出しがどうも不自然だよなあ~。

この石垣の張り出し部分、
何か屋根つきの建築物が天主横の
ここにもあったから、最下層の屋根は
こんなにも斜角で不均等なんじゃないでしょうか?

浮田秀家が安土城をまねて造った
岡山城天守もすぐ横に建物がくっついてるし。

気になる~(妄想)。

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戦国・中国地方の諸豪。

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本日の地図のテーマは
戦国時代の中国地方の諸豪族。

大内家と尼子家が毛利家に吸収されて
その最大領域が黄色の枠線という感じで・・。

四国の瀬戸内海沿岸は、
黄色の部分が長曾我部氏に圧迫され
緑色のラインまで河野氏が圧迫された感じで。

九州は毛利家と龍造寺家との同盟が
大友家への圧力へとなっていたのかと、
描いてておもいました。

尾張の熱田・津島、
伊勢の大湊、
紀州の熊野・雑賀、
和泉の堺、
四国は三好勢力か、長曾我部勢力か、
九州の博多、竜造寺側か、島津側か、

商人は中立とはいえ、
織田家が堺をおさえてからは、
外交的に敵対勢力の毛利、龍造寺のルートと港が駄目とか、
三好側の港は駄目とか、各大名の
勢力関係の中での独占貿易というか
海運業戦国時代があったのかなあ。

どのような状況だったのか・・。

小西行長の親父(小西隆佐)さんとか、
なりあがるだけの戦国大名的な
なにかがあったんでしょうねえ。

そおゆうのまで勉強不足で、
まだまだ地図に反映できませんが、
「もっとしりたい」という気持ちはあります。


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なへゆる

東海地方、
駿河・遠江にて「なへゆる」発生。

阪神のときは高速がひっくりかえって
あちこちで火事の炎があがってましたが、
大丈夫でしょうか・・

台風も向ってるみたいで、
心配です。

戦国・九州の諸豪

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今日の気分で、「天下侍魂」
九州の戦国大名の、
島津義久、龍造寺隆信、大友義鎮のページに
つける地図をつくりました。

自分で人物を調べてるとき、

どうにも位置関係が、
地元人じゃあないのでわからない。

昔の郡の範囲も想像がつかない(><)。

ので、なんとか位置関係を
つかめないかなあ~と
思いまして。

自分がほしいものは
きっと他の人も必要だろうと
思ったわけですが、

マイ手作りはやっぱ
真実味がないよなああああ(笑。

ていうかんじで、
ご覧になられるかたも、
こんな感じ?という程度で見てください。
気になることは自分で調べてみて
くださいねw。

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織田(津田)長利

今日の気分で織田(津田)長利さん(のつもりです)。

織田信長様の末弟です。

無(有)楽斎・長益よりも弟。

兄達が伊勢長島一向一揆戦で戦死したため、
信長さんの残り少ない兄弟になってしまいます。

経歴はざっと、
織田長利 (*1550~1582)又十郎・長則。織田信秀の息。1574年伊勢「長島一向一揆討伐」に従軍。1574年から織田信忠付の家老。1581年京都馬揃えに参加。二条御所で討死。娘はのちに北畠信雄の側室。

おそらく信忠さんの一門衆として
信忠さんとともに戦い
各地に従軍したことでしょう。

『信長公記』では
「甲州乱入」木曽口に、織田孫十郎という人がいるのですが、
又十郎の間違いでしょうか?(こっちは信次の息か?)
もしくはその前の「織田、」とかかれる人物かw

信包さんが長野家に、
長益さんが養育先の平手家、
ということになれば長利さんはどこと縁があったのでしょうねえ~。

影が薄いです。
なのでイラストにするのに、
アイデアが思い浮かばなかったのですが・・・。

上杉謙信と同盟関係にあったときに、
<1572年7月のことのようです。>
信長様が「愚息」を、
謙信の養子(人質に差し出しますということか)にと
手紙にかいてるようなのですが、

実現しなかったということなんですが、

当時、人質にだせるような身内がいたのでしょうか。

遠山氏の勝長さんか、
秀吉養子の秀勝さんか、
(相手(信長)にとって痛くもかゆくも無い人物なら
 人質に取る意味もないだろうしなあ~)
その後の息子達は年齢が少し離れるようですし、

信秀さんの11男とも12男ともいわれる末子の
長利さんなら信長様が一旦養子にしてもよいような
(親子ほど年齢の離れた)
年齢だったかなあと妄想を膨らましてみました。
(信秀公が1551年頃お亡くなりになったと過程しています。)

もう少し史料に事績が残るほど
長生きしてほしい武将でした。

信包、長益さんが兄弟について
かきのこしているようなことって
ないのんかなああ~。


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津田秀政

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今日の気分で津田秀政さん!!(のつもり。

瀧川軍団所属ということで、
伝・前田慶次さん鎧の肩当を
流行してたのかな?と思って
ひっぱってきてみましたw。

伊達さんとか、東北のほうで
肩当のある鎧が多いような気がするっ。
(気がするだけですw)
南蛮鎧の影響で日本全体のものなのかな~。

津田さんの経歴は、

津田秀政 (1546~1635)織田・小平次・正秀。織田信秀の叔父、秀敏の孫。津田秀重の息。瀧川一益の婿。織田信長の命により、瀧川一益の与力となる。上野国松井田(松枝)城主。のちに徳川家に出仕し、江戸幕府の奉行として、西尾吉次(東国担当)とともに各国の地域図を作成。

桶狭間の前哨戦で戦死した、
織田秀敏さんの孫です。

この人物がいるので、
瀧川一益さんと織田家とは
準血縁というか、

惟任(明智)光秀さんと、津田信澄さん的な
距離感でもあるし、

瀧川一益さん自身、織田信秀公の
娘婿だったのではという説もあります。

瀧川軍団での位置づけや、
江戸時代での生き残りぶり、
一族の中でも、
かなりできる人だったのかなあという印象です(妄想~。


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池田勝九郎

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今日の気分で池田勝九郎!!

信長様の乳兄弟(母は信秀公の側室となったとも)、
池田勝三郎恒興の嫡男です。

織田信忠さんとは、ほぼ同学年。
よき友人でありライバルだったことでしょう。

森長可、蒲生氏郷、佐久間盛政、
この世代って粒ぞろいだったのに・・・。

勝九郎どめにしたのは、
名が元助、之助とあるからなのですが、

池田家にけっこう「之」の字が
多く使われているのですが、
古文書を読む人によっては「元」と
読めるらしいので。
どっちが正しいかイマイチ自分には
わからないからです。

本人的にはそのうち、
信長様から「信」か「長」を貰って、
信輝とか(え。

もしくは信忠さんから「忠」の字を
もらって之忠とか(笑、
今はどうでもええわっ
という感じだったのでしょうか。

真田家とかで、真田信繁の名が
「幸村」とかになってるのは、
娘婿さんに迎えた瀧川一益一門の影響というか、
池田・瀧川の縁もあるんじゃないのかな?と
思う今日このごろ。

それにしても、父上の恒興さんは公記ではずっと
勝三郎やし・・、織田家近親には官位名・受領名を
与えないというような信長ポリシーがあったのかな・・。

太平記よんでると受領名だらけなんですが、
織田家中はそういう名乗りは少ないような
気がします(元々大名じゃないからかな)。

丹羽五郎左衛門さんが官位を蹴ったのも、
信長さんが後半辞退しつづけたのも、
頼朝さんのような、官位任官の権限を
自分の思うままにするのだという
根底の共通意識があったとかなのかもしれませんね。

任官してるか、してないかで、
織田家臣団の中で何か一線がしけると
おもしろいことがわかるかもしれませんね。

またまた話しが違う方向むいてますが、
勝九郎さん!
信長様の命で父親とは別行動で
淡路制圧に出向いています。

淡路といえば仙石秀久さんが
秀吉さんの時代に重鎮になりますが、

信長様時代は勝九郎さんだったのかなあ。

「本能寺」直後は矢部家定さんがいたようですが、
指揮官・池田で軍監・矢部だったのかな(妄想。

山陽道には他に同世代で生駒一正さんがいますし、
信忠さん閥というか、母上の生駒吉乃さんつながりで
非常に血縁関係の深い若手が配されているところが、
信長様の配慮だったのかな?と思う次第であります。


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大津長昌

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今日の気分で信長様の側近の
大津長昌!!(のつもりです。

丹羽長秀さんの妹婿。
ん~、超絶エリートのような気がする・・。

大津という姓についてですが、
三河の一向一揆の時に反家康方の武将にいます。
先祖は三河の豪族だったんでしょうかね。

織田信秀さんの安祥城進出や、
織田信長さんの西加茂郡併呑などで、
尾張にわたってきていたのでしょうか。

信長様家督相続直後の同盟者・丹羽氏秀は、
岩崎の丹羽氏勝に敗北し、
三河の中条家を頼って落ちたともなってますし、
尾張と三河つながりは想像以上に深いものかも・・。

信長様の側近の中では、
福富秀勝、菅屋長頼、万見重元に近い世代でしょうか。
後に続く堀秀政、矢部家定さん、多士済々だったんでしょうねえ。

堀さんは幼い時は大津家にいたとかで、
大津殿と特別係わりがあるみたいです。

1579年頃荒木攻めの陣中にて亡くなりますが、
その働きぶりからするに過労死でしょうか(謎。

長生きしてほしい人物でした。



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森可成

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今日の気分で森可成さん!!(のつもりです。

親父殿・信秀公が任命した那古屋城の
一の家老、林秀貞兄弟の離反に対して、

織田信長様が期待した新戦力代表が
森可成さんのようです。

斎藤道三の槍奉行・林殿の縁戚のようですし、
稲葉一門つながりで、
同じく親戚の林秀貞さんに代るものとして、
森一族が台頭したんじゃあないでしょうか。

南北朝期に遡って、
南朝方に忠節を尽くし、新田軍の
数々の合戦で先陣を務めてきた
河野一族の末裔を、
武門の誉れ高い一族として、

各戦国大名は血縁につらなる者なら
自分の配下に置きたかったんだろなあ~と
想像されます。

なんていうか、「特攻隊長の遺伝子」って
あるんでしょうかね。

その遺伝子の結晶というか、
息子の森長可さんが
対・武田戦で先陣を務め
武田家をあっというまにたいらげてしまうところが

積み重ねてきたものが
見事に花開いた感じですねえ。

それにしても、
坂井政尚と森可成さんが
柴田勝家さんのことを、
「なんで柴田は矢球の飛び交う戦場で
 (かがまないで)立って指揮するのだ?」
と不思議がってたという逸話があることを
最近知りました。

さっすが、というか森・坂井という
勇将に「すげえ」とおもわれてる柴田さんが
スゴイw。

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