プロフィール

登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
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一柳直末

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今日の気分で 黄金色 秀吉さんの
黄色の一番、一柳直末!!(のつもりです)。

羽柴秀吉さんの黄幌衆の
筆頭だったかどうかわかりませんが、
一柳市介と1だらけなので
印象だけで きめました(笑。

1595年後北条氏との「小田原攻め」に
先陣を務め戦死なされるのですが、
秀吉さんはその「戦死を知り絶句した。」
とどっかで読んだ事があります。

信長様の死と、
どっちがショッキングだったでしょうねえ~。

という感じで、秀吉さんの
中での存在の大きさは
かなりのものだったんじゃあないでしょうか。

美濃時代に
上洛近江攻めに意気あがる織田家の頃、
秀吉さんの
与力となる様子ですが、
竹中半兵衛さんや、
加藤光泰さん、谷さんなど

きっと信長様の配慮もあって、
粒ぞろいの美濃外様衆が付属されたのだと
思います。

一柳家の先祖は四国伊予の河野氏とつながりが
ある様子で、

南北朝時代の南朝勢力として
新田軍に属して足利軍と戦い、
義貞死後も、宇都宮家とともに
加賀から美濃に転戦した一族の末なのかと、
かってに想像を膨らませていますw。

稲葉、林と親戚で名門中の名門。

この方も織田家の天下の中で
毛利攻め、九州攻めと
つづいていけば、
どこまで武名を高めていたのかなあ~
と思わせる人物であります。

信長様もその将来に
期待していたに違いない(妄想。

信長さんを支えた林秀貞さんのように
信長様四男、羽柴秀勝を支える存在に
きっとなっていったことでしょう。

とゆうわけで、
「天下統一」に若くして散った
黄幌衆の侍魂に、合掌。

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瀧川一忠

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今日の気分が瀧川一忠!!(のつもりで。)

織田信長の六大軍団長。
中山道の重鎮・瀧川一益の嫡男(次男らしいが家督。

上野国にて瀧川一益さんの与力として
がんばってるところで本能寺の変です。

1553年生まれということで、
織田信忠さんが
きりよく1555年生まれとすれば、
2歳ほど年長。

蒲生氏郷さんや、
森長可さんの兄貴分といっても
いいよな年齢です。

きっと信忠さんの忠の字が
その信頼度から
一忠さんに与えられてたんじゃ
ないのかなあ・・・(妄想。

そんな重要人物の一忠さんです
が『信長公記』に活躍が
書かれていない!!(なんでやっ。

というわけで考えてみたのですが。
「変後」の人生で
秀吉さんにとことん嫌われて、
家督は弟のものとなり、
一忠さんは生涯、浪人として過ごしたそうです。

一忠さんの妻は
上野時代の縁で真田家の方なので、
政略結婚でしょうが
相手(真田)方にもそれなりに将来性を見込まれて
の両家の相思相愛的な
ものじゃないと縁談も纏まらなかったかなああ
と思います。

現世にまったく事績が消されてるのは、
『公記』が整理されてた時代が
秀吉の世だったからでしょうか。

次ぎの徳川家康さんの世でも
川尻・瀧川に関してのことは
記録として残すことは
タブーとされていたのでしょうか。

武田信玄との
「味方が原の合戦」にみえる
瀧川伊予守、

『公記』に信長様馬廻として
度々登場する
瀧川彦右衛門、

ともに資料に見える
気になる人物です。

どっちかは、
一忠さんの長兄のことでしょうかねえ~(妄想)。

謎の多い瀧川家。

漫画を描くなら
一忠さんは是非登場させたい
人物だと思ってます。

織田信忠さんと同じ
時代を生きた
孤高の貴公子、瀧川一忠さんの
侍魂に合掌。

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宮部継潤

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odano833.jpg
今日の気分で宮部善祥坊さんです!!(のつもりです)

近江の浅井家家臣から織田に転じ、
羽柴秀吉の与力として、
1582年「本能寺の変」まで
ともに戦う生活を送ります。

その主従関係が、
秀吉の内衆だったかというと
どうかなあ~と、いつも思うわけです(妄想)。

まず織田信長様の許可を得ての
与力武将ということは確かでしょう。

で、秀吉さんは調略の条件であったのか
人質として身内の羽柴(豊臣)秀次を
継潤のもとへ送っている様子。

のちに正式に養子とされるようですが。

秀吉が近江侍を手なづけていくにも
重要な役割を果たしてくれたことでしょう。

中国方面軍となってからは、
但馬に進出した羽柴秀長を補佐する与力。

内衆では前野長康が補佐したであろうし、
尾張衆からの与力としては尾藤知信さんが
いたであろうし、その中でも

新占領地の旗頭として、
因幡国鳥取の城主に抜擢されたことには、
信長様の意向が反映されていたのでは
ないでしょうか。

外様の近江衆でもそれまでの軍功に対して
評価があるのだということを、
家中または天下に知らしめる登用という
ことは考えられないのでしょうか。

というか、秀次を送り込むことで
家中にとりこむというか、
身内にひきづりこんでしまった秀吉さんの
人たらし術も凄い。

自分の羽柴本家は信長様の子息・秀勝さんが
継承するし、
一門の流れは、弟・秀長さんの子孫か、
宮部の秀次さんの子孫が生き残れば、

秀吉さんとしては「満足です」と
信長様へ
アピールもしてたかもですねえ。

というわけで、
近江侍の武勲を世に知らしめた
宮部継潤さんの侍魂に合掌。

追記)あと妄想をもう一件、
1580年代の秀吉一家の兜の飾りは、
グレムリンみたいな顔の前立てと
鹿の角が流行してたのかなあと思ってます。
(伝・秀吉、秀次の兜をみてw)

播衆系の人は牛の角みたいだし(謎。

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松井康之

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今日の気分で松井康之さん!!(のつもりです。)

なんだかFC2の入力方法が変わってしまって
とっても使いにくいです(汗。

で、松井さんといえば
織田家の日本海方面での水軍の旗頭となる武将です。

ざっと経歴は、
松井康之 (1550~1612)甚七郎・猪介・佐渡守・式部大輔。旧幕臣。松井正之の息(次男)。兄・勝之(*~1565)は足利義輝に殉じる。足利義昭とともに諸国を流浪。1569(永禄12)年対三好の「桂川の合戦」で活躍。1570年御牧攻め、高屋攻めに軍功。1573年淀城攻め、貝塚攻めに軍功。長岡藤孝与力として丹後に従軍。日本海方面の水軍大将として羽柴軍の後詰。1579年有岡攻めに従軍。1581年因幡国鳥取城後詰。1582年「本能寺の変」後は長岡家家臣。秀吉から石見半国18万石で勧誘されるが辞退する。
(「天下侍魂」明智光秀、長岡藤孝の軍団のページから引用。)

後世では、長岡家の草創期からの家老となってますが、
それにしては単独で動いてることが多くはないのでしょうか??

この方も「本能寺の変」で大きく地位が変動
してしまった武将じゃあないのかなあと妄想する
次第で~あります。

子孫的にも初期から主家に忠節を尽くしていたと
いうほうが古参の家臣の家系ということで、
のちのち有利だから、そういう感じで、子孫により
家譜とか伝承が徐々に歪められたりしてないでしょうか?

松井さんは、長岡軍に付属させられた、
柴田勝家にとっての前田利家や佐々成政のような
与力の武将だと思います。

というわけで、
織田水軍の両翼を担ったであろう
松井康之さんの日本海舟歌侍魂に合掌。

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今なんとなく思い立っているのは、
実は織田家直参家臣だったんじゃないの?
シリーズです。

天下の趨勢により結果的に
旗頭に付属していただけの与力武将が、
その縁から譜代家臣として
扱われてしまった人たちというかんじで
つづけてみようかなあ(笑)。

原田直政

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今日の気分で織田家軍団長、原田直政さん!!(のつもりです。)

織田信長様の親衛隊、赤幌衆出身です。

なみいる重臣、黒幌衆をとびこして、
山城守護に抜擢され
南近畿方面の重鎮となります。

ざっと経歴は、

原田直政 (*~1576)塙・九郎左衛門・備中守・重友・正勝。柴田勝家の婿、姉は信長の室。南山城守護。大和守護。柴田勝家と縁戚。1569年伊勢「北畠氏征伐」に従軍。1574年山城国守護に就任。1575年河内国「高屋城攻略」に従軍、「長篠の合戦」で鉄砲隊指揮官。1575年大和守護兼任。1575年「越前一向一揆平定」に従軍。1576年「石山本願寺攻囲」に従軍。石山合戦で討死。
(「天下侍魂」のぶなが様の親衛隊のページから引用。)

原田は多分、平安時代末期の
清盛家臣、原田種直にあやかって、

なら備中守はなんだろう?ということで
今日はイメージ創りの為に
官途にこだわってみました。

備中守の有名どころとしては
近江源氏の佐々木頼綱殿。

近江の伊吹山にて摩利支天の秘法により
酒天童子を封印するといいます。

北近江の浅井家と抗争していた織田軍では
伊吹山の伝説はよく耳にしていたかと思います(妄想)。

摩利支天は火(日)の神だとか。

比叡山を焼き討ちした織田軍に相応しい(え。

というわけで兜に梵字をいれてみました(謎。

「天下布武」に駆けぬけた
原田直政さんの燃える侍魂に
合掌。


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源義親

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今日の気分で元気のみなもとの
義親さんですっ(のつもりw)。

八幡太郎義家公の跡職、正当継承者。

悪対馬と呼ばれてはります。

朝廷に叛乱を起した罪で
平ノ正盛に討伐されます。

歴史の見方によっては、

大宰府長官の大江匡房さんに謀られ、

罪人に落とされて朝廷から追討される立場となる
と考えられなくもないのかなあ・・・。

ようは中央の源氏潰しに
ハメラレタ。

なんしか、義親さんの
その存在に興味がかき立てられます。

「刀伊の入寇」とかで外国からの侵略もあり、
義親さんなりに危機感を持って国を守ろうと
していたかもで
(九州をみて危機感を抱いた秀吉さんのような)、

それとは別に、
円滑な貿易を推進したい大宰府の方々と
方針が違って対立したとか・・(妄想~。

というわけで、
「康和の反逆児」源ノ義親さんの
あらぶる侍魂に合掌。

イラストは、なんだかスランプ中(悶々)。
カッコイイ「悪」ということで、
セバスチャンバッハみたいなイメージに
近づけたかったですねえ~。

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畠山重忠

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今日の気分で畠山重忠!!(のつもり。)

「坂東武者の鑑」といわれ
鎌倉時代の諸将から
尊敬を抱かれていた勇者です。

1180年の頼朝挙兵には
大庭景親に応じて平家方として働きます。

当時、京都大番役で父親が平家軍の中に
取り残されていたので、そういう理由も
あったのかなと想像されます。

しかし重忠さんは
房総半島で勢力を取り戻した
頼朝さんにいさぎよく降服し、
父と袂を分かつようです。

父親さんも立場的にやばい状況
だったはずです。

「忠ならんと欲すれば孝ならず、
 孝ならんと欲すれば忠ならず。」(頼山陽)

と平ノ重盛さんと同じような苦悶を
重忠さんも胸中に抱いていたのでは
ないでしょうか(妄想)。

まあ、最初から親子の仲が悪ければ
問題ナッシングですけどw。

1183年には北陸道で平家軍が大敗し、
京都を捨てて西国を固めて
勢力回復するという平家方の方針で
やっとこ父親さんは武蔵に帰国を許されるそうです。

で、家督を譲って隠居された様子で、
その後の歴史には現れてきません。

正式に跡職を継承した重忠さんは、
奥州征伐の「後三年」以来の
先祖伝来の源氏の白旗を掲げ
頼朝さんの先陣を常に勤め武名を挙げます。

北条時政さんの娘婿となったようですが、
時政さんの陰謀と三浦党により
滅亡の運命が待っています。

悲劇的な武将です。

(韓信っぽいかなあ。つぶやき)

太く短く、
歴史に武名を刻んだ畠山重忠さんの
侍魂に合掌~。

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須賀清秀

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今日のすがすがしい気分で
須賀清秀!! (のつもり、謎っすw)

親衛隊つながりで気になってる人物として、
常に足利尊氏とともにあった、
須賀清秀さんです。

執事・高ノ師直が軍団を率いて
家中に重きをなしているスタイルと違い、
一将校として、
尊氏の執事のような役割にあるようです。

新田軍との「竹ノ下の合戦」に
足利尊氏のご様子を、
皆が須賀さんにきいてたり。

高ノ師直・師泰兄弟の軍勢が、
尊氏・直義兄弟の屋形を囲んだとき
「どういうつもりだ」と尊氏の言葉を
師直さんへの使者として伝達にいったり。

一番近い存在なんじゃないのかなあ~(妄想)。

織田信長様にとっての万見重元さんのような
感じ?(笑)。

足利尊氏の内衆、譜代家臣軍団では、
常に先陣を務める曽我師助や、
富永(設楽)助定も気になる武将です。

親衛隊の側近達が参加した
足利家の「京都天龍寺供養の行列」は、
織田家の「京都馬揃え」のようなイベント
だったのでしょうねえ(妄想~)。

天下人は必ずこういうイベントを
踏襲するのかなあ。

動乱の時代に
天下の傍で
地味に輝いた須賀清秀さんの
侍魂に合掌~。



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北条義時

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今日の気分で江間小四郎義時です!!(のつもりです)。

源ノ頼朝が選抜した親衛隊に、
坂東の名門子弟達とともに選ばれています。

北条時政の次男のため
分家筋となって江間と称しています。

在地の勢力として
江間として認められている様子なので、

兄の北条宗時さんが戦死したため
江間家という養子先から
出戻りでもしたのでしょうか。

執権となった子孫が
初代が分家筋じゃ
まずいということで
どんどん家系粉飾が進んだのでしょうか(妄想)。

北条家が台頭していくのは、
北条政子という姉の存在と、
父親・時政さんのたちまわりも
さることながら、
義時さんの親衛隊時代の交友関係も
影響してたんではないでしょうか。

織田家でいうなら(でたw
堀秀政さんや森乱さんや
有名人多数の信長様近習とか、

織田信忠さん近習の
団忠正さんとか。

天下人の親衛隊で、
誰が実際に家政を牛耳るのかが
気になります(笑)。

信長様の在世の天下ならば
六大軍団長は政権からは遠い、
地方の将軍(諸侯)という存在で、
勝家、秀吉、光秀もその発言は重くはあっても
さほどの影響力はなかったかもしれません。

なので清洲会議での重臣合議というのは
それだけでも、
軍団長の地位が大きく向上していた
と言えるのかもかも・・・。

福富秀勝さん、もしくは菅屋長頼さん
比較的に年配(堀さんより年上だろうと思ってます)
の側近が生き残っていたなら、
側近勢力だけでも事は運んでいたかも
しれませんね?

とゆうことで、
北条家のページのイラスト完成w

北条義時さんの
高い天を望む侍魂に
合掌。


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足利一門衆の系譜

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今日の気分で(笑)。

足利家の系図でよくわからないのは、
新田義貞を、細川頼春に従い討ち取った
細川孝基という人の存在。

細川孝元?、息子の頼元との誤字?
大手柄のあげた人のわりにはっきりしません。

足利直義・直冬に従った
今川直貞という人の存在。

今川一門の誰の息子なんでしょうか。

荒川頼直殿は仁木・細川に連なる家系らしいのですが。

気になる軍団です(;ーー)。

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鍋島信生

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今日の気分で
九州侍・鍋島信生(直茂)さんです!!(のつもりです。)

九州の兜の鉢は、
他の地域に比べて
なんでおっきめなんだろう?

気候が、あっついから?

体格的に顔がでかいから?(ぇ。

うちの親父が長崎小浜出身なのですが、
俺も含めて
体系的な比率からして
そうなのかもなあw

現代人的ないけてるスタイルになりたい!(謎。

竜造寺隆信の戦死により、
隆信嫡男の政家さんから家政を
しきるように依頼され、
秀吉さんの朝鮮派兵に命令書が
鍋島さん宛てにきてしまったので
直茂さんが対外的にも当主に
なっちゃったらしいです。

家臣団的には、傘としての
役割を果たしてくれれば
竜造寺家の誰が当主でもよかったのかなあ。

「天道」があると認められていたのでしょう。

上杉家は直江兼続さんが
似たような立場にありますが、
謙信公の存在感というか
上杉はやっぱ上杉なんだなあと思います。

新興と、伝統の重みの違い
っちゅうことでしょう。

北九州の赤い軍団鍋島武者
を率いた鍋島信生さんの、
もえる侍魂に
合掌。

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斎藤長龍

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今日の気分で斎藤長龍(のつもりです)!!

文書として確認される名前は、
斎藤新五郎・利治さん。

ここでは伝承を主体としてますので
斎藤長龍さんで通します。ご容赦を。

伝・斎藤道三の甲冑を
見てて書きたくなったのですが
道三さんに着せてもとおもったので(謎、
息子の長龍さんに伝わったとこじつけで
描いてみましたw。

斎藤道三・秀龍さんの末子にして、
織田信長様の家臣。

嫡男・信忠さんの家老職として、
信忠さんの美濃支配を手助けします。

長龍さんは、謙信さんの死後に
信長様の意向で
飛騨・越中に侵入し、謙信公が近江から
スカウトし、北陸方面の司令官に据えた
名将・河田長親を撃破します。

次期、美濃侍の重鎮として
信忠さんにとって斎藤長龍さんは、
信長様にとっての明智光秀のような
感じでしょうか。

それにしても、
稲葉一族は、南北朝時代の
南朝の猛将・宇都宮泰藤とともに
美濃で北朝方と戦い続けた
河野一族の末なのかなあ。

四国の河野一族が、
新田軍とかの先陣をつとめてたから、
戦国時代になっても、河野末裔の
林一門、稲葉一門、一柳一門が、
軍奉行として重宝される家系と
なったのではないでしょうか?(妄想~)。

とまた話しがそれてきますが、
道三殿の予言どおり
息子は織田の門に馬を繋ぎましたw。

信長様への美濃譲り状の手紙は
きっと長龍さんが届けたんだろうな~(妄想)。


明智光秀さんの謀反に
長龍さんはどんな気持ちを抱いたのでしょうねえ。
降参しないで敢闘したようなので、
やはり元美濃の国主筋という血統の
プライド的にも「光秀許せん!」と
思ったのかもしれませんねえ。

織田信忠さんとともに
二条御所に散った、
斎藤長龍さんの侍魂に合掌。


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織田長利

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今日の気分で織田長利!!(のつもりです。)

織田信長様の舎弟さんです。
織田家で流行の鯰尾の兜にしてみましたw

1550年生まれということで、
信長様嫡男・信忠さんが1555年生まれとすれば5歳年長と
かなり年齢の近い叔父さんです。

伊勢長島で信長様兄弟がかなり討死してしまい、
少ない一門衆ということで、信忠さんの補佐役として
「京都馬揃え」、「甲州乱入」と重宝されたようです。

長益さんが平手家で育ったなら、
長利さんはどこで育てられたのか
気になるところですが、
若くしてお亡くなりになられたので、
情報が少ないです。

「本能寺の変」に信忠さんとともに
二条御所にて討死。

織田家の世となれば、
一門衆として
どれほどの栄達がまっていただろうと
いう感じですが、惜しい人物です。

「時刻到来」というか、死も一定
仕方なかったのかなあ・・。

短い輝きを放った
織田長利さんの侍魂に、
合掌。

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平頼盛

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今日の気分は平ノ頼盛ですっ!!(のつもりです)。

平治物語を読んでると、
源氏との郁芳門での戦闘の中で、
平ノ頼盛さんが郎党を率いてる場面が
あるのですが、
配下の武将の名字が全て省略されているので、
姓がなんなのかよくわかんないのです。

平家でなければ人にあらずの
平家一門の結束強い一家なので、
郎党も当然に平姓なのかなあ・・・。

頼盛殿は、
清盛公の苦手な継母・池ノ禅尼の実子なので、
兄弟の中でも特別待遇なのですが、

父・忠盛の形見の刀を頼盛が
持っているので兄弟不仲になったと
平治物語にも書かれていたりしますし、

兄弟の間に溝があったことは公然の様です。
(そこをまた後鳥羽上皇につけこまれたのでしょう。)

平治物語の作者からは意図的に
何かと差別されるようです。

平家滅亡後は何故か頼朝さんに厚遇されるのですが、

早くから一族から離反していたのでしょう。

頼盛さんの行動が、
後世に不忠として貶められてしまったのでしょうか。

それにしても、実際のところ
父・忠盛さんの直臣の系統は
この方に付属させられていたりしませんかね?

頼盛殿の家臣団の扱い、
なんか可哀想だなあと思う今日この頃です。


戦国の織田弾正忠家の、
信長様に付属された家臣(平手・林とか)と、
信勝(信行)さんに付属された
家臣(柴田・佐久間とか)の関係って
柴田・佐久間の方が厚遇されてて
清盛・頼盛の家臣と
逆なのが、おもしろいかも。

兄・清盛公とは別の道を歩いた
平ノ頼盛さんのあらぶる侍魂に
合掌。

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