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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
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足利家時

odano806.jpg
「切腹!」


今日の気分は鎌倉時代の足利家時です(のつもりです)。

鬼気迫る場面なのですが、
気分で脱力な絵にしてみましたw


足利家天下とりへの原動力。「置き文」を
三代先に伸ばした人です。


足利一門の結束力を高めたのは
この家時さんのすさまじい「気魄」
だったのではないでしょうか。


最近気になる武将は、尊氏九州落ちの際に
中国地方に配置された面々。

上野頼兼(山陰方面の重鎮のようです)、
石橋和義(斯波家の本家だったんじゃって活躍です)、

いろいろあって
中国地方では結果的に、
山名時氏が長生きして残ったって感じです。

四国地方では細川定禅。

阿波を牛耳っていたのは、
当初は分家のほうなんじゃないでしょうか。


結局は長生きした人間が有利というか、
史実的に正当化されるというか。

戦乱の中で輝きを放った
その活躍ぶりまで、
年を経て
よくわからなくなっていくというか、
消えていってしまってそうな
気がします。

足利家時さんも
決して暗君ではないと思います。

北条家全盛の日本で
これを今、転覆するのは
到底ムリと時代を読む眼力が
ありすぎたんでは?。

鈍感力が必要なくらいだと思います(え。

とゆうわけで、
足利家時さんの
あらぶる侍魂に合掌。


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樋口兼光

odano805.jpg
今日の気分は平安末の木曾義仲さんの左腕、
木曾四天王の樋口兼光さんです。

伝来の兜の記憶で描いて見ました。
こおゆう形態の兜が平安末に既にあったのかなあ~。

信濃侍が持ち込んだ新気風だったのかなと、
肯定する方向で見たいと思います。

義仲さんの乳兄弟・今井兼平さんの兄です。

二人の兄貴分という感じで、
木曾義仲さんからは一軍の大将として
信頼されていたようで、
別働隊(搦め手軍)を率いて、平家軍との戦闘に活躍します。

京都では占領後、悪逆非道の限りを尽くしたようで、
後白河上皇にたいそう恨まれるそうです。

義仲、兼平の戦死の報を聞き、
鎌倉の範頼・義経軍に降服しますが、
公家達の許しがでずに処刑されることになったようです。

信長様は、松永久秀がたいそうお気に入り
だったらしいのですが、

「普通じゃできないことを3回もした」とか
おだててますし。

決して木曾軍の事も嫌いではなかったのかなと
思えるんのですが。

配下武将に九州系の名前を付けるのは、
信濃の国が未だ
甲斐武田家の支配下にあったからでしょうか。
(既に敵対関係だから遠慮とか、
臆するとか、関係なさげかなw)

なんにしても朝廷に対して、
イメージが悪すぎたりするからでしょうか。

上杉景勝の上田衆の樋口兼豊との関係が
きになるところですw。

と今日も徒然と妄想を書いてますが、

範頼・義経も武辺を認める
樋口兼光さんのあらぶる侍魂に合掌。


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「悪源太」源義平 

odano803.jpg
今日の気分で平安末源平争乱時代の英雄、
源ノ義平(義衡)です!!(のつもりです。)

源ノ義朝の長男にして、
坂東平野に悪名を轟かせた
鎌倉の若親分さんです。

父・義朝さんの勢力伸張に懸念を抱いた
祖父・為義さんの命で、
義平さんにとって叔父の
源ノ義賢さんが関東地方に進出。

その圧迫感に危機感を抱き、
15歳の時に軍勢を率いて、
上野国の秩父の屋敷を襲撃し
討ち取ってしまいます。

源氏同族の争い。

それにしても源ノ義賢さんの勢力範囲は
信濃・上野以外の地域、
越前・加賀・越中・能登にも及んでいたのか。

木曾義仲さんが、
その地域で受け入れられ担がれたのは昔の
義賢さんとの旧縁も関係が
あったからなのではないでしょうか。

というか、頼朝さんは義平さんを
差し置いて
ほんとに嫡男というか
家を継ぐ存在だったのでしょうか・・。

宮廷受けは義平さんよりよさげですが。

近畿を頼朝、
坂東を地盤とする軍事的後見人として義平
さんということでの分担を、
父・義朝さんは考えていたでしょうか。

「平治の乱」にもし義朝が
勝利していたなら・・、
その先がきになるところです。

ということで、
源ノ義平さんのあらぶる侍魂に合掌。

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堀尾吉晴

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今日の気分は堀尾吉晴!!(のつもりです。)

最近、執事にこってるもんで(謎。


羽柴秀吉の執事的存在としては、
おとなでは蜂須賀さんや、
それにつづく竹半・黒官さんがいますが、

次ぎの時代を担う若手では?ということで。

稲葉山城攻略に道案内として活躍した、
堀尾茂助少年と、学研漫画に一番最初に
登場してくるこの人こそ、
古くからの馴染みでもあり
秀吉の執事というか、
子飼衆筆頭なのかなあ~
と昔から思ってたんですがw。


実のところ岩倉織田家に属していたようで、
北尾張の立地的な関係から、
茂助少年は
岩倉の殿様の命で、
同盟の使者として美濃稲葉山(斎藤家)に
出入りしていたかもですねえ。
(そんで道案内とか。)

家系的には高階家の流れということで、
足利家執事(執事づくしだな~)、
高の師直さんと同じ家紋。

秀吉所属となって確かな戦功としては、
金ヶ崎の退き口に参戦していることは
間違いがないようです。

その点、岩倉時代の同輩だろうと推測される
山内一豊少年とも同じような経歴です。

岩倉衆は、信長様への忠誠心をこの戦いで
試されていたのでしょうかねえ?

豊臣政権に豊臣三中老として、
生駒親正(ほんとは息子の一正のほうか?)
中村一氏(瀧川一益の親戚)とともに
抜擢されています。

羽柴家の中では、一柳直末や、山内一豊とともに
中国攻略軍時代の若手侍大将衆が
きになるところです。

(仙石秀久は淡路攻略とか一軍の将として
 信長様直属っぽくて別格みたいですね。)

加藤清正や福島正則より少し上の
歴史に埋もれた世代が好きです(笑。

というわけで、
秀吉の天下統一を支えた
堀尾少年のあらぶる侍魂に
合掌。

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大須賀康高

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今日の気分で、大須賀康高さん!!(のつもり。)

ひさびさ戦国時代です。

徳川家康に永禄年間に重用され
酒井、石川につぐ軍団を率いる
「旗頭」の地位に突如抜擢され、
1582年には織田領甲斐を平定し
松平康高という名を与えられています。

「松平康」までが与えられた名前、
自分の名は高一字だけ(汗。

千葉家の流れをくみ、
親戚は後北条家に出仕しているようです。

武田家との抗争では武田勝頼の代に、
対徳川の拠点「高天神城」に備えて、
前線の遠江「横須賀城」の城主になり
しのぎを削るようです。

永禄以前の
三河武士としての経歴も不明だし、

秀吉との「小牧長久手の合戦」にも
先陣をつとめさせられるほど
酷使されてるし。

三河侍ではないので、
忠誠心を試されてるのかなあ~・・

と自分には思えてなりません。

ということで、いつもの妄想w。

信長様に付属させられた
与力侍なんじゃあ~ないですか?

如何。

中条家が織田家に滅ぼされたとか、
三河の親織田派の武士が1582年に
けっこうお亡くなりになられているようなんですが、

全部、家康さんの時代の改変なんじゃあ~ないですか?(笑)

まっすぐ事実を捉えれないほど、
俺は徳川家を・・・(謎っス。笑

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大友貞載

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今日の気分は
南北朝時代の大友(左近将監)貞載さん!!(のつもり。)

九州男児なんで目鼻立ちぱっちりの
多毛系にしてみますた。

太平記の山場、足利尊氏と新田義貞の激突の際、
戸次党を率いて足利尊氏追討軍に属し、
新田義貞の軍団から突然に足利尊氏方に寝返り、
ピンチの足利軍に奇跡の勝利をもたらします。

そのせいもあって南朝方から
たいそう恨まれ、後醍醐帝に気に入られた
「三木一草」のひとり結城親光により
差し違えのだまし討ちにあいます。
(足利尊氏を庇い負傷したとも。)

この武勲のおかげで、大友家一族は
足利尊氏にたいそう信頼され
ひきたてられたそうです。

そこでこないだからの
一連の妄想つづきなんですが(笑)、

貞載さんはメジャー人物なので、
筑前立花城を築城したとされ、
立花家の祖として仰がれています。

実際は実弟が養子となり跡をついで立花なのですが。
『太平記』とかには立花の名乗りはありません。
(むしろ戸次党を率い、
室町初期の幕政では
大友家より上位に戸次家が
取り立てられてたりもします。)

江戸時代に大名立花家の家門装飾の為に
畿内の伝説的有名人・大友貞載さんと
無理にむすびつけられているかも?
と・・・(立花家を批判しているわけでは
ありませんからあ~)。

でその当時の感状に、家系図に
現れない戸次(左近大夫)頼尊なる人物の
ものが残ってるそうです。

戸次家のひとが
鎌倉幕府討幕に働き、なんらかの軍功から
後醍醐帝から感謝されて
「尊」字もらったりしませんかねえ?
(左近大夫=左近将監・・にてる・・)
もしくは足利尊氏となってからの
尊氏さんに感謝されて「頼尊」とか。


大友貞載さんは朝廷軍から離反し
世の混乱を招いた武将として
「尊王主義」の時代には
楠木正成ら勤皇の忠臣に対して
悪将として評価され、「戸次頼尊」の名は
不当に悪い評価をうけたり、事績を削除されたり、
系図から消されたりとかないでしょうか?

この南北朝の世に混乱を招いたぶりと、
足利尊氏に対する忠節ぶりから、
時代背景によって評価が変わって、
戦国時代には有る意味カッコイイと評価されてたり
しないでしょうか?。

で、戦国織田家に妄想はつながります(笑)。

信長様家臣の簗田(右近)広正が別喜姓を
突然あたえられるのですが、
これは何故なんだろう?と思ってたわけです。

「桶狭間の合戦」に奇跡的な勝利をもたらし
軍功第一とされた簗田家が、なんらか大友氏と
家系的つながりをもち、その縁もあって信長さんから
戸次姓にならって同じイントネーションの姓を
与えられてたりしませんかねえ~。

『信長公記』には別喜右近として表記され、
加賀支配の旗頭として、抜擢されてます。

信長様のことやから、何かしら遊び的な
意味付けがあってのことだと思われます。

信長様は足利将軍を担いで上洛したので
大友貞載公の正確な名称を、
室町末期の当時は
把握できたんじゃないでしょうか?

(とにかく立花家の祖先なんだ!!
 ということだけが江戸時代に世間一般に
 立花家の常識として
 定着してしまったとか。)

というわけで立花家と戸次家の結びつきと、
織田家の別喜さんと関連する人物として想定
してみました(あくまで妄想ですw)。

大友家の未来を切り開いた
肥前守貞載さんの
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原田種直

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今日の気分は平安時代平家の家人、
太宰権少弐・原田種直!!(のつもりです!!)

九州大宰府長官の大蔵家
という名門の嫡流として、
平ノ清盛公に重要視されて
嫡男・平ノ重盛の娘(養女とも)婿に
迎えられたといいます。

重盛死後の
清盛公のやけっぱちクーデターで、
清盛公の軍事力の中核として
原田種直さんは後白河法皇を幽閉し、
京都の制圧や、
畿内の鎮定に威をふるった様子です。

京都や奈良、摂津、播磨、瀬戸内海、北部九州に
「原田種直」の名を知らない人は、
当時いなかったんじゃないでしょうか。

というわけで、時代は下って戦国時代!(以下妄想w)


織田信長様の側室の弟にして、
柴田勝家と縁戚でもある塙直政さんが、

山城守護、大和守護として
南畿方面軍の旗頭に抜擢されますが、
「原田直政」と改姓します。

この改姓の真意とは、
対朝廷政策と平家政権を意識した
信長様の命名センスだったんじゃあ~ないでしょうかw

法王を幽閉し、周囲を固めた原田種直さんのような
鬼神の如き制圧戦を原田直政さんに望んでいたし、
畿内の人々にもそのイメージをうえつけさせたかったのでは。

織田家のイメージ戦略と

源平交代思想とともに、
歴史が繰り返す不思議。

ただものじゃ~あない、信長様のその知識力と
情報戦略とを感じるんですが、如何?w。

とゆうわけで、
戦国の秋月氏につながる、

畿内の貴族を恐怖のどん底に叩き落した
平家の武将・原田種直さんの
九州侍のあらぶる侍魂に合掌。

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島津忠季

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今日の気分で鎌倉時代初期の
若狭守護・島津(惟宗)忠季さん!!(のつもり!)

(隻眼かどうかはフィクションですw)

津々見忠季で歴史上とおってます。

惟宗広言の息子で、
九州島津初代で有名な島津忠久の兄、
(義)母は比企能員の妹らしいです。

惟宗広員の父、惟宗基言の官位は日向守。
ということは⇔惟宗日向守。

なんかとても興味をそそる家系ですw


以下妄想を~(笑)

上洛した信長様が、
近江を支配していく上で、
次ぎの侵略ポイントとしてたのは、
若狭国だったんだと思います。

そこで熱田大神宮つながりで
『吾妻鏡』を愛読書とする
戦国織田家では、故事にならって
若狭支配を「惟」姓の武将で抑える事とし、
過去をひきずる若狭国の住民感情を
円滑にしようとしたのでは
ないでしょうか。

(室町の一色、武田支配を振り払う意味で、
斉藤義龍は一色を理想としてるので信長様は
一色は嫌いなはずっ。汗)


で明智光秀と丹羽長秀に競争させて、

琵琶湖を挟んで西を、惟任日向守(明智光秀)
率いる北西近畿征服軍団。

琵琶湖の東を、惟住五郎左衛門(丹羽長秀)
率いる北東近畿征服軍団と
いう具合にわけたんと違うのでしょうか。

九州の名族だからという
ゆくゆくの話しではなくて、
目先の若狭支配を念頭においての
命名だったんとちがうのんかなあ~(妄想)。

播磨の筑前守も、
赤松家ゆかりの筑前守やし。

如何?(笑)。

やっぱ正解は、従来どおり
信長様らしい九州狙いのスケールの大きい話しなんでしょうかw

というわけで比企つながりで
若狭島津家の惟宗忠季さんまできました。

鎌倉若狭守護大名の
あらぶる日本海侍魂に合掌。

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比企朝宗

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今日の気分で鎌倉時代初期の比企藤内朝宗!!(のつもり。)

美貌をもってなる娘さんがいることから
自分の中では美形っぽく書いてみました。

一番最初の北陸探題かなあ~と思ったんですが
どうでしょうw

平家の時に一人で北陸方面を総括するひとが
いたかというと、越中前司と呼ばれる人が
いますが、越後や越前など数カ国を総括していたわけでは
なさそうだし(越後奥山荘の城氏がいるし・・)。

木曽義仲の四天王のひとりが北陸探題と
よばれていますが、実質的に統治していたかというと
疑問符が。

頼朝さんの乳母である比企ノ尼の
養子として上野を支配した比企能員の
兄弟ともいわれ、
越中、越前、越後を支配した比企朝宗さん
こそ初代の北陸探題と呼んでもいいのではないでしょうか。

この兄弟、のちの足利家の執事・高兄弟や、
仁木兄弟なみに重要な位置にいる
というか実は活躍してたんじゃないかなあ
と漠然と思ってしまいました。

「比企の乱」で一族は滅亡しますが
歴史から抹消されていること多々あるのでしょう。

出自からして四国出身らしいとあやふや。

北条義時にみそめられた姫が産んだ子が
遺領を継承するようですし。

能員さんとともに気になる武将です。

比企朝宗さんの
北天の侍魂に、合掌。

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三浦義村

odano792.jpg
今日の気分は三浦義村!!(のつもりです。)

織田信長様の家臣にして、
信忠さんの家老の
団(梶原)忠正さんが、なんで団平八という名前にしたんか、
ず~っと謎やったんですけど、

鎌倉時代を整理していて、
三浦義澄さんの嫡男・三浦義村さんがなんと、
「男!」平六と名乗ってるのを
『吾妻鏡』にみつけて、「おお~っ」と
おもったので書いてみましたw。

信忠さんが日ごろ何をしてたんかなあ~
とかおもうわけなんですけど、
『吾妻鏡』は必読書だったりしたんでしょうかねえ。

熱田大宮司家の人が頼朝さんの
親戚だったりするので家伝というか
鎌倉幕府関係資料が尾張に残されてたんでしょうか。

信長様の代では神官の千秋家とかから
入手可能だったのかなあ。

とまた話しがそれてますが。

三浦家の人々は源ノ義家の代から
奥州の遠征に従軍したりして、
天下人の左右に必要不可欠な家柄の人々
だったのかもしれませんね。

織田家には和田系の佐久間家とか、(;>□<)”はっ
イカンイカン。

義朝さんの長男
源ノ義平さんを婿に迎え
坂東を席巻し、
今度は頼朝さんを擁立して幕府の中核となり。

北条家とも戦陣をともにした
良好な関係で、
義村さんの代に栄華を極めますが、
あとは凋落して子孫は
戦国時代のはじまりに
北条早雲に息の根を
とめられます。

「男」

に込められた逸話とかあれば
おもしろそうだなあ~(妄想)。

というわけで今回は、
三浦義村さんの
「男魂!!」に合掌。


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